大井川通信

大井川あたりの事ども

お風呂場のデリダ

今村仁司先生の講義を聞くようになった大学の後半、僕は、地元の友人たちといっしょに公民館で地域活動にかかわるようになった。70年代に「障害者自立生活運動」が巻き起こった土地だったから、当時周囲にはアパートで自立生活をする「障害者」とそれを支える活動家たちもいて、やがて僕も介助に入るようになった。まだ、理論や思想が、気分として社会変革と結びついている時代だった。

就職してまもなくの研修期間中に、東経大に今村先生を訪ねたことがある。国分寺の居酒屋で先生と二人でお酒を飲んだ。暴力を理論的に研究している先生に向かって、僕は具体的な差別のことを考えたいと話した記憶がある。(今でもその時の宿題が気にかかっている)

その後遠方の支社勤務となり、すぐに学生時代の勉強が実社会では何の力をもたない、というより、そもそも実社会向きの力が自分には欠けていることに気づかされた。それでも、読書を続けたのは、それが唯一の自分の支えだったからだろう。

以下は、就職して2年目の、1985年の春に書いた散文詩めいた断片。

 

デリダが来日した時、ゼミで先生がデリダの講演の印象を話してくれた。興奮した僕は、その晩、お風呂介助に行ったアパートで、Mさんをお風呂に入れながら、デリダの話に夢中になる。湯舟の中で黙って聞いていたMさんは、不意に口を開くと、ゆだったからもう出たいとつぶやいた。/会社の近くの喫茶店で、昼休みにデリダの『ポジシオン』をちょうど100頁まで読んで、そのままになっている。ウエイトレスの〈諸岡さん〉が、そのあたり、しおり代わりにはさんであって」