大井川通信

大井川あたりの事ども

シンポジウムの廣松渉

今年がマルクス生誕200年であることを、テレビで偶然知った。ドイツのマルクスの故郷に中国が記念の銅像を贈ったということを、昨今の中国の動きとからめて批判的に紹介するニュースだった。ソ連の崩壊と冷戦の終結で、資本主義と民主主義が勝利し、もう「歴史が終わった」と言われた時代から四半世紀、世の中はまた得体のしれない方向に動き始めているのかもしれない。

その冷戦終結すら予想できなかった1983年、マルクス没後100年には、雑誌で多くの特集が組まれ、イベントが行われた。僕が今村ゼミに参加した東京経済大学でも、5月に記念の盛大なシンポジウムが開かれた。

多くの論客を集めたシンポジウムでは、今村先生のさっそうとした司会ぶりが際立っていたけれども、その会場で僕は初めて廣松渉(1933-1994)の姿を見ることができた。廣松渉はすでに思想界の大スターだったから、当時のノートを開くと、横顔の似顔絵(かなり上出来)も描いてあり、会場での様子までがメモしてある。こんなふうだ。

「廣松さん、姿勢よし。悠然と煙草をふかす。こころもち身体を斜めにしていて、目をつぶり、時々目を開けては鋭い流し目をこちら側に浴びせる。/(司会の冗談に)後ろを見回して笑う。周りを見回すのが癖みたい」

それからわずか10年ばかりで、廣松渉は逝去する。それを新聞で知って、僕は職場に喪服を着て出勤した。若かったせいもあるが、そんなことをしたのは、後にも先にもそれきりである。