大井川通信

大井川あたりの事ども

戦没者の概数

終戦記念日の翌日の新聞朝刊に、日本人の戦没者の概数を示す地図が掲載されていた。日本軍の最大勢力範囲を示す赤線の内側に、地域別に大小の円の大きさで戦死者の概数を表していた。

例年この時期には、戦争に関する報道が多くなる。子どもの頃から、多くの映像や情報に接してきたが、シンプルなこの図表を通して、あらためて戦争の実態を再認識した気がする。

まずは、戦没者(軍人ほか一般邦人も含む)は、310万人。やはりこれはとんでもない数字だ。

日本本土が70万人に対して、沖縄での死者は19万人。沖縄での戦闘の厳しさを物語る。

大陸での死没者は、本土沖縄に匹敵する88万人。東南アジアでは、本土を上回る76万人。太平洋の諸島では、57万人。

いかに戦争が、外国の土地に足を踏み入れて、そこを戦場としていたかがわかる。戦争には相手があるし、戦闘の巻き添えをくった人たちも多かっただろう。日本人以外の戦没者の数も、膨大なものとなっているはずだ。

この記事にはないが、海外からの引揚者は、500万人に及ぶ。この戦没者と引揚者の人数が、当時の日本が、近隣諸国に対して、どのような力を及ぼし、どのような影響を行使していたかを冷徹に物語る。彼らは旅行者ではない。戦争のためか、あるいは国益及び私益を求めて渡航していたのだ。

この事実の記憶がリアルにある間は、日本人が時の為政者に対して多分に批判的であり、近隣諸国に対して謝罪や反省の意識が基調にあったことは、むしろ当然だったと理解できる。

この記憶を失えば、どのような牽強付会も可能だろう。しかし、この一枚の図表は、まっすぐに我々の負の原点を指し示している。