大井川通信

大井川あたりの事ども

『ジゴロとジゴレット』モーム傑作選 新潮文庫

◎「征服されざる者」

昔、柄谷行人の講演で、坂口安吾論を聞いたことがある。無慈悲に突き放される物語にこそ文学の原型がある、という安吾のエッセイを中心に論じていた。この小説を読んで、そのときの話を思い出した。この短編の読後感は、僕には『月と六ペンス』を上回るものだった。

ドイツ兵のハンスは、征服者のおごりから偶然立ち寄ったフランスの田舎の農家で娘のアネットに乱暴してしまう。健康で無邪気な青年のハンスは、その農家に気まぐれで食料援助を続けるうちにアネットの妊娠を知り、彼女を愛している自分に気づく。婚約者をドイツ軍に殺されたアネットはハンスを拒絶し続けるが、両親は結婚して家の跡取りになることを申し出るハンスに心を許すようになる。やがてアネットは出産をし、喜びにわくハンスと両親をしり目にアネットは姿を消し、とんでもない悲劇の結末を迎える。

敵兵から意志に反して妊娠を強いられるアネットの抗議(征服されざる者)に正義があることはまちがいないだろう。しかし、物語の展開をハンスの視点から描くことで、彼の身勝手な感情の中にある真実や、アネットの中にある硬直した愛国主義を浮かび上がらせる。両親の現実主義も皮相には描かない。父親がハンスの所業を許した背景にも「わしも先の戦争に出征して、平和のときにはとてもやらないようなことをやってきた」という自己認識がひかえている。作者の眼は、冷酷なまでに三者それぞれの「罪のなさ」をとらえる。

たとえ結末の悲劇が起きなくても、ドイツの戦勝を前提にしたハンスの目論見は、数年後のドイツの敗戦で別の形の悲劇に終わるだけだったろう。それが、いっそうこの小説に救いがたいやりきれなさをくわえる。どのみち、どうにもならないのだと。

『奇妙で美しい石の世界』 山田英春 2017

著者の名前にひかれて、自分にはずいぶん場違いな本を買ってしまったと思っていた。主に瑪瑙(メノウ)などの石の断面の「奇妙で美しい」模様を図版で解説する本だ。しかし読みながら、自分も石について興味があって、何冊も本持っていることを思い出した。それらは、大井川歩きで出会うような、石仏や石塔、巨石などのについての本だ。この本が扱うものとは見た目がまったく違うから、石という共通点に思い至らなかったのは仕方ないかもしれない。

意外にも読んでみて、とても面白かった。紹介される石の模様は、自然にできたとは思えないくらい魅力的だ。人間の文化との密接な関連も興味深い。過去には自然自体の造形力によると信じられた時代があったそうだ。新しく抽象絵画が脚光を浴びると、アートのような模様がもてはやされたという。美しい石をめぐる人間模様も、たくみに描かれている。

実は著者の山田さんの文章を読むのは初めてではない。僕が、東京郊外の国立市の小学生だった当時、隣町にコガネ山という雑木林があって、よく昆虫採集に出かけた。しかしその名の通り、カブトやクワガタを見つけることはできず、級友の間では、それらが豊富に採れるカブト山の存在が噂になっていた。僕はとうとうその山を見つけることはできなかったと思う。

それが心残りで、最近ようやく国分寺市にエックス山として残る雑木林が、当時噂された場所に近く、その山ではないかと思い当った。初めて訪ねると、不思議なことに夢に何度も出てきたあのカブト山とそっくりだ。検索すると、国分寺出身で同世代の山田さんが少年時代を回想する文章を読むことができた。平地の雑木林が「山」と呼ばれていたこと、周囲の山は姿を消しエックス山も一部だけになったことを知った。何より共感したのは、同世代の元昆虫少年として、今でも雑木林に入るときに生じる気持ちの高ぶりを描く文章だ。

「林を歩くと、体内に眠っていた何かが目を覚ますような、独特な感覚を覚える」

がらんどうの長い商店街で

勤め先の介護施設のクリスマス会で、次男が出し物をやるというから、休日なので車で送り迎えすることにした。次男には、座布団回しという特技がある。この特技というのが不思議で、家にある座布団でたまたまやってみたら出来て、癖になって回しているうちに、いつの間にか他人が見て驚くくらいの芸に仕上がっていたというものだ。両手で一度に回したり、回しながら投げ上げてキャッチしたりもできる。高校の文化祭や実習の介護施設のお祭りで披露した経験があるから、今回も多分うまくいくだろう。職員や利用者の皆さんにもきっと喜んでもらえると思う。

次男の就職については、ずいぶん前から夫婦で頭を痛めてきた。軽度の知的障害がある彼は、親の死後も長い期間、自分のかせぎで生活していかないといけないだろう。できれば何らかの形でパートナーとの暮らしが実現してほしいと思う。

就職先について、夫婦で二つの方針を考えた。まず、人とのふれあいがある仕事であること。人間関係に不器用なところがあるが集中力はある次男は、教師から単純反復作業が向いている、と言われたりした。たしかに子どもの適性による振り分けという観点ではそうかもしれない。しかし子の長い人生の中での幸せを願う親としては、一生の大半を過ごす職場は、笑顔で感謝の言葉をかけあえる環境であってほしいと思う。

次に、技術やスキルを身に着けられて、ステップアップできる仕事であること。同じことの繰り返しでは味わえない喜びや自信につながると思うからだ。それが彼の仕事上の立場を守ることにもなるし、転職でも有利に働くだろう。

高校一年の時にはこの方針を固めていたので、親として介護職を選択するのに時間はかからなかった。ただし、その理由を次男に説明して、納得してもらうには長い時間がかかった。もしかしたら今でも納得はしていないのかもしれない。我慢強くて、学校時代はグチや弱音は一切吐かなかった次男も、片道二時間近い通勤と仕事上の人間関係の厳しさで、夏前から、転職したいと絶えず口にするようになった。そういう不満が聞かれなくなったのが、ようやくこのひと月くらいだ。表情もたいぶ明るくなってきたが、これからも山あり谷ありの試練が、親子を待ち受けているだろう。

次男の職場は、かつて炭鉱で栄えた街にある。次男を待つ間、久しぶりに駅前を歩いてみた。往時をしのばせる立派なアーケード街では、大半のお店はシャッターが下りている。土曜の午後なのだが、数百メートル先の突き当りまで見通しても、商店街を歩く人影は、ほんのニ、三人しか見えない。都会の人には想像もつかない光景だろう。僕は、誰もいないがらんどうの空間を、泳ぐように前へ前へと歩いた。

ミサゴの寒中ダイブ

強い海風が吹きすさぶ上空を悠然とミサゴが飛ぶ。風にのって旋回する姿は一見トビのようだが、羽ばたきはずっと力強い。ウミネコのようなしなやかな翼に短い胴をもつ白っぽいタカで、翼を開いた長さは大人の身長ほどもある。

広い河口には、次々に白い波が打ち寄せている。すると突然、ミサゴが翼をすぼめて、キリをもむように垂直に降下していく。あの高さから、しかも波立つ海面の下に魚の影を見つけたのだろうか? ミサゴはしぶきをあげて着水するものの、手ぶらのまま飛び立った。

再び上空を大きく旋回しながら、ミサゴは何回かダイブを試みる。ダイブにはいろんなパターンがあるようで、飛びながら浅い角度で飛び込むこともあれば、水面ぎりぎりであきらめて飛び去ってしまうこともある。いずれにしろ、成功の確率はさほど高くないようだ。ようやく大き目の魚を水中からつかみ取って飛び上がった。魚は空気抵抗を減らすためか、足を前後に開いて、戦闘機がミサイルを装着するように身体の下に抱えている。そのまま一目散に海岸にそって飛び去っていった。どこか安全な場所で食事にありつくつもりなのだろう。

サーファーも釣り人もいない冬の荒れた海を背景に、ミサゴのダイナミックな狩りを寒さに震えながら見物するのは、しかし最高の贅沢だ。

興国寺仏殿 福岡県福智町(禅宗様建築ノート2)

念願の禅宗様についての文章を書きはじめることができたので、地元では貴重な禅宗様仏殿に立ち寄ってみた。なだらかな傾斜地の奥の山懐にある曹洞宗の寺院で、なんど訪れてもロケーションはすばらしく、参拝の途上、伽藍を遠望できるのもいい。禅寺としての格式もあり、おそらく建物の印象も何割増しかになっているだろう。一目で禅宗様とわかる仏殿で気持ちが高まるが、やはり僕にとっては疑似禅宗様体験ともよぶべきもので、感動が薄いのは否めない。江戸期(享保4年 1719年)の建立で、様式は簡略化されて、プロポーションも明らかにぎこちない。江戸時代に伝来した禅宗の一派黄檗宗の建物に雰囲気が近い気がする。

しかし、この仏殿の長所は、禅宗様仏殿の正規の姿といわれる、裳階(もこし)付の二重屋根という形式を守っていることだ。銅板葺の屋根は、裳階部分の下層はなだらかだが、上層は四隅がピンとはったように軒ぞりがついて、正面から見上げると、鳥が羽ばたくような飛翔感を味わえる。ダイナミックな内部空間を構築する意匠の多くは省略されているが、それでも土間から立ち上がる柱にそって縦方向に意識が向かう堂内は禅宗様ならではだ。堂の形式と規模の近さから、国宝正福寺地蔵堂などの本格的な禅宗様の姿を重ねてみる(髣髴とさせる)ことが可能なのだ。

にもかかわらず、この仏堂そのものを見たときには、軒下のまばらな垂木や簡素な組物、細い柱や間延びした壁面に興ざめしてしまう。メカニカルで精緻な組み立てによって独自の生命感を生み出しているかという点では、残念ながら禅宗様の魂は入っていないと言わざるを得ない。図面を見ると、8メートル四方の国宝正福寺地蔵堂に比べて、10メートル四方と一回り大きいことに驚く。いかに正福寺が複雑な意匠をコンパクトに凝縮しているかがわかるし、一方の興国寺がどうにもスカスカな印象なのもやむなしか。

とはいえ、享保からの風雪に耐えてきた仏殿には、それなりの風格がある。再来年は、建立300年の記念すべき年だから、僕もひそかに何かお祝いをしたいと思う。

その後の樋口一葉

読書会で、樋口一葉(1872~1896)の短編の続きを考えるという課題がでた。一葉の小説を読むと、まず大人の世界がしっかり描かれていることに驚く。脇を固める市井の人たちが生き生きとして実に魅力的だ。

主人公の方は『にごりえ』のお力、『十三夜』のお関、『たけくらべ』の美登利、『大つごもり』のお峯と、みな大変な「器量よし」である。特別な美人ゆえに勝手に日の当たる場所に連れていかれ、そこで周囲の人間の運命を狂わせたり、その巻き添えになって自分も不幸になったりする。

ただし、こういう物語に読者として魅了されたり、現実の世界でもこういうパターンにはまったりしてしまう構造は、今でも120年前とあまり変わっていないような気もする。むしろ男女を問わず、様々な場面にこの構造が拡散しているのではないか。たとえば、リアルでは「情熱恋愛」を回避する若いオタクたちも、見た目でアイドルやアニメのキャラに夢中になり、理不尽に散財したあげく、一転アンチになって攻撃したりするように。

【その後の『たけくらべ』】
藤本信如は、融通のきかない弱い性格だから、仏教学校で経典の中に心の平安を求めて、仏教原理主義に傾いてしまう。このため実家の世俗的な寺院経営にはますます反感を強め、色恋沙汰の遊郭の世界にいる美登利からも心が離れる。若い僧侶たちとの宗派の革新運動に身を投じて、実家とも疎遠になる。
美登利は、相変わらず将来の働き手として遊郭で優遇されているうちに、学校もやめて外の世界を知らないまま、姉の後をおって同じ世界に入り、お店でナンバーワンとなる。信如への思いは、すでに淡い思い出となっている。
田中正太郎は、しっかり者だから祖母から引き継ぐ質屋の店を繁盛させて、幼馴染で気心の知れた美登利を、念願かなって遊郭の大黒屋から嫁としてもらいうける。
結婚式には、子ども時代の喧嘩相手の長吉も姿を見せて、信如が不在の中、表町、横町の人々がこぞって祝って大団円。

【その後の『十三夜』】
高坂録之助と別れた後、お関は自分の中に録之助への思いがあって、夫にそれを悟られていたのではないかと気づく。しかし、録之助の変わり果てた姿を見て、罪の意識を感じるとともに、二人が決定的に別の世界の住人になったことを知り、気持ちに踏ん切りをつける。
一方録之助も、自分の放蕩の原因になったお関の立派な奥様姿とわが身を引き比べ、冷や水を浴びせられたように現実に引き戻される。少年時代の愛想がよく働き者だった自分を思い返し、女房を連れ戻して人が変わったようにまじめに働きだす。
お関は覚悟を決めて、夫に全面的に仕えるようにする。すると、パワハラ夫原田勇をコントロールする術をしだいに身に着けるようになった。お愛想や媚びの演技で、簡単に夫は機嫌を直したりした。原田も、器量よしとちやほやされて育った世間知らずのお関が、どこか自分に冷淡な態度をとるのが不満だったのだ。それとともに原田の芸者狂いも収まっていった。
やがて、録之助は大通りに店を出す。立派な少年に育った太郎を連れたお関が人力車でその店の前を通りかかったとき、録之助の姿に気づいて、お互い無言でまなざしを交わす。

ニュータウンのアイデンティティ

郊外のリノベーションをめぐる連続講座で、今回は都市計画が専門の黒瀬武史さんの話を聞いた。デトロイトの住宅地の衰退と再生の試みの報告で、住宅地の衰退ぶりは驚くほどだが、一方再生のアイデアの大胆さにも驚かされた。

一つの都市をゼロから立ち上げて、それが立ちいかなくなった時には、それを徹底して作り替えようとする。合理的で欧米的な発想という気がする。一方、日本の身近なニュータウンや開発団地は、たいてい既存の村落の里山が開発されたもので、開発の当初から旧地区との様々な関係や交渉を持っている。だから、エリアとして再生を図る場合には、住宅街内部の問題として扱うだけではなく、境界の外との関係を見直したり、再構築したりすることが有効なのではないか。

グループ討議の報告者となったとき、そんな話をしたら、黒瀬さんが面白いコメントをしてくれた。ニュータウンで生まれ育った学生から、こんな話を聞いたそうだ。自分のアイデンティティは、生まれ育ったニュータウンにあるし、そのニュータウンアイデンティティは旧地区の村落にあるのだと。やや屈折した表現の真意が、僕にはよくわかる気がする。

ニュータウン生まれの子どもたちの好奇心は、平板な住宅街には満足せずに、その境界を越えて、旧地区の田んぼや川や山林や神社に向かうだろう。だから住宅街での生活の記憶は、旧地区での異界体験と完全にセットになっているのだ。僕は今でも、故郷の住宅街に帰省したとき、子どもの頃のドキドキ感を求めるように旧村の神社や自然に足を向ける。

その学生さんにならって言おう。僕のアイデンティティは国立の住宅街にあり、国立の住宅街のアイデンティティは谷保の文化や自然にある。

『敗者の想像力』 加藤典洋 2017

加藤典洋は、比喩の使い手だ。思ってもみないような比喩を持ち出し、作品や現実の意外な真実を引き出す。それが何年か前に、久しぶりに彼の本を手に取ったとき、その比喩の精度がずいぶん落ちたような印象を受けた。この新著でその印象は決定的になった。全体を通じて、鮮やかさに思わず膝を打つといったような比喩や解釈は、皆無だったといっていい。言いたいことはわかるけれど、ずいぶん強引だなあ、というのが大方の読者の反応のような気がする。いったい初代ゴジラが戦争の死者であるという比喩から出発して、後に続く子ども向けのゴジラシリーズがその「不気味なもの」の飼いならしであり、それがさらにキティやポケモンなど「かわいい」文化の出現を促した、などという解釈のどこに説得力があるのだろう。せいぜい事情を知らない留学生の耳目を驚かすくらいではないのか。

著作としての問題点は、「敗者の想像力」という鍵概念が、うまく焦点を結んでいないことだ。国家の敗戦と個人の敗者体験とは元来まったく別々のものだろう。それを重ねざるをえなかった世代から「敗者の想像力」による戦後思想の最良の営みが生まれた、ということまではわかる。しかしこの本の中で「敗者の想像力」は、まるで著者が認定さえすれば、たんに占領体験を研究したり、まったく個人的に挫折したりすることからも自由自在に生み出されるかのようだ。

なぜこんなことが起こるのか。それは、この著作自体が(一般的な意味での)敗者の想像力を使って書かれていない、という根本の矛盾に行き着くような気がする。敗者とは何か。それまでの自分の経験や蓄積を突き崩されて、そのがれきの中から、これだけは確かだというものを何とかつかみなおして、徒手空拳で必死に世界にむきあう者のことだろう。ところが、著者は、従来からの自分の業績や仮説の正しさを誇示しながら、あれもこれもと自分の知的在庫を総動員するように楽しげに論をすすめる。これは、持てる者の議論、敗者の文体ではなくむしろ勝者の文体で書かれた著作だ。勝者には、敗者「への」想像力は可能でも、敗者自身の想像力を理解することはできない。

末尾に置かれた大江健三郎の『水死』をめぐる論のなかで、大江を裁判に訴えた側について、「廉恥心に乏しい」「ウルトラ右翼」「愚劣な批判者によるタワゴト」等と口をきわめて罵っている。一方、大江は「孤立」した気の毒な「受難者」となる。その判断の当否はともあれ、初めから正邪がゆるぎない立場からの大江擁護の批評が面白いはずがない。

加藤典洋の批評には、軟体動物的な柔軟さのイメージを持っていたのだが、意外に硬直した二項対立に傾く資質があることに気づいた。大江論においてそうだし、そもそも勝者か敗者かというのも単純な二元論だ。加藤の比喩が精度を落としたように感じたのは、この二項対立の枠組みがより前面に出てきて、比喩や解釈がその枠組みに仕えるようになったためかもしれない。それが年齢によるものか、時代への危機感によるものかはわからないが。 

プライバシーの境界線

日本全国もそうなのだろうが、僕の住む地域はとんでもない冷え込みである。真冬の一番寒い時のような気候が、12月に入って続いている。例年12月は、けっこう暖かい日が続いていたと思う。そんなわけで大井川歩きの看板が泣くような休日を過ごしているのだが、久しぶりにその話題を。

僕は、今でも個人情報の保護という考えがしっくりこない。現実的にそれが必要な場面が多いのは理解できるのだが、それを金科玉条のように振りかざされると、とまどってしまう。他者に知られることは人間の存在のはじまりでありその条件である、と青臭く考えるからかもしれない。

大井川歩きでの情報源は、道端で偶然出会った人との立ち話である。そうして知り合った人を後に訪ねることはあるが、いきなり訪問することはないし、第一そうする名目がない。道であうおじいさん、おばあさんたちは、その場でいろいろ教えてくれる。もちろん、信用してもらうための努力はしているのだが、自分の経歴から、家族や親族や村のことなど何でも話してくれる人も多い。そういう人は、たいてい80歳代だ。おそらく70歳代のどこかくらいに、プライバシーの感覚の境界線があるのだろう。もっともこれは農村に近い地域に限定の話になる。

以前、農家の庭先で、90歳近いおばあさんにあれこれ話を聞いていたら、母屋から60歳代と思しき息子が、何か売りつけられているとでも勘違いして血相を変えて出てきたことがあった。おそらくこの地域でも、あと10年もしないうちにこんな聞き取りの手法は通用しなくなるかもしれない。

閉校する短大で

町にある短大が、来春で閉校するという。公開講座があったので、都合のつく日程で申し込んでみた。初めて入るキャンパスは駅近くの高台にあって、小規模だが周囲の自然も映えて感じがいい。

廃校となる学校の卒業生は、どんな思いを抱くのだろうか。古い感覚かもしれないけれど、進学もいわば新しい共同体への帰属であり、それは自分よりも確かなもの、永続するものを求めてのことだったはずた。

予想に反して、さっそうと登壇した講師(柏木翔氏)は、若手のバリバリの観光学の研究者であり、10人弱の受講者を前にして、観光をテーマに情報量豊富でわかりやすく、知的刺激に満ちた話をした。観光客増がもたらす弊害についての日本政府の備えの甘さの指摘や、オーストラリアとの観光政策の比較を通じた日本への提言、さらには地域の観光戦略についての話を、実際のデータに基づいて行う。事前には経済やビジネス関連の話と分かっていたので、それほど期待はしていなかったのだが、東浩紀の『観光客の哲学』もこうしたリアルな認識とセットになって、批評的な意味をもつのだろうと思える内容だった。

講師の話を聞きながら、その規模や評価とは別に、大学という場所の知的な資源としての貴重さにも思い至る。