大井川通信

大井川あたりの事ども

『子どもに伝えたい〈三つの力〉』 斎藤孝 2001

斎藤孝(1960-)が論壇に登場して、さかんに発信し始めたばかりの頃の著書。その後、ベストセラーや実用書を数多く出版したり、多数のテレビ番組に出演したりしてすっかり人気学者になる。そうなると、へそ曲がりの僕は著書をまじめに読む気を無くすから、この本も20年にわたって、積読の刑に処せられることになった。

この本を読んで、彼があらためて「教育学者」であることを知る。この肩書で、これだけ世間に発信できている人は、いないだろう。それだけでも異色だ。

20年前の本だから、当時の社会情勢や教育界の動きを反映しているところはある。しかし普通の教育書と違って、少しも古びている感じがしない。それは彼の思考が、まっとうに「反時代的」であり、時代の本質にくさびを打ち込むものだからだろう。この本の提唱する内容の正当性や必要性はますます高まっているにもかかわらず、それが教育の世界に浸透しているとは思えない。

それは、この本の主題である〈三つの力〉を見れば明らかだろう。「コメント力(要約力・質問力)」、「段取り力」、「まねる盗む力」の三つは、20年後の今でも、用語としても内容としても、どこか異様で、こなれないままにとどまっている。教科の枠や学校や仕事という異なった領域を横断的に「またぎ越す」力の提唱も、今でも十分に刺激的だ。

著者が〈三つの力〉を子どもたちに伝える前提として、学ぶことの定義を「他者のあこがれにあこがれる」としたことは、見事だと思う。そうすると教師の役割は、二つになる。自分の担当教科で自らが力強い「あこがれのベクトル」になること。と同時に、子どものもつ個々の「あこがれのベクトル」に寄り添い、ケアすること。

また、著者は、本を読む習慣をつけることが、教育における最重要課題だという。なぜか。それが「他人の思考に長時間寄り添う訓練」となり「自分の中に他者を住まわせる」ことになるからだ。このあたりは、僕自身、読書会などの現場で痛感してきたところでもある。

著者の議論は、輸入された専門用語や新しい概念を振り回すようなものではなく、派手さはないが、読み手が自分の現場や経験に照らして、なるほどと納得できるようなものだ。著者の専門が身体論であり、身体的な実践に根差した思考に徹しているからだろう。テレビでおなじみの斉藤孝氏をすっかり見直してしまった。