大井川通信

大井川あたりの事ども

『共産党宣言』をめぐるあれこれ

白上謙一が『ほんの話』で、学生時代、この書に「感銘といっただけでは云いつくせない影響をうけた」と書いている。当時この本が「国禁」の書で、白上が陸軍大将や首相を務めた林銑十郎の甥だったというのは興味深い。

しかし、それ以上に関心をひくのは、この本を読んで彼が共産主義者であることを止めてしまったということだ。「にしきのお守り袋の内をあけて見たら素朴な手刷りの紙切れが出て来た感じ」と当時の気持ちを表現している。

この気持ちは、時代の違う僕にも少しわかるような気がする。再読してみると、この薄い本には、きわめて素朴だけれども力強い骨太の理屈が貫かれている。この理屈は、近代以降の社会の根本動向を見事にとらえており、発表後170年たった今でも新鮮さを失っていない。いや、むしろ現在にこそ当てはまっているような気もする。

この「素朴な手刷りの紙切れ」の壮大な射程を実感してしまったら、これを「お守り」扱いして目前の事象に細かく白黒の判定をつけることがいかに場違いなことであるかがわかるような気がするのだ。

今回は、1993年発行の金塚貞文訳の『共産主義者宣言』で読んだ。(金塚貞文は80年代に地元の市民運動の小さな会合で何度か顔を合わせたことがある)

柄谷行人が冷戦終了直後の最新の認識で解説をつけているし、金塚のやや破天荒な訳者後書きもあるが、その二つの文章がすでに古びてしまっているように見える一方、『宣言』の本文はみずみずしい。なるほど「妖怪」のような本だ。

大井川流域でいえば、クロスミ様が祭られたのが弘化4年(1847年)。『宣言』が発表されたのは、その翌年である。