大井川通信

大井川あたりの事ども

90年代の転回点(批評をめぐって⑤)

 *勉強会レジュメの最後の部分。当時展開する余力がなく、メモでしかないが、そのまま引用しよう。15年経った今では、ここから先の認識こそが、言葉と行動の真価を問われるものとなっている。

 

【90年代の転回点-素描-】

① 経済の凋落

バブル崩壊後の長期不況により、右肩上がりが当然と思われていた株価や地価が急落した。終身雇用等の日本的経営が終焉の兆しを見せ、リストラが社会問題化する。90年代後半には、ほんの十数年前の就職活動の時、超優良企業だった金融機関が矢継ぎ早に破綻や合併を繰り返し、僕の就職した会社も倒産してしまった。日本経済の将来像も、他のアジア諸国の追い上げにより地位の低下は避けられない。

② 社会・秩序の破れ 

95年には、神戸震災・オウム事件が起こり、従来磐石に思えていたハード面及びソフト面でのインフラ(社会基盤)にほころびが感じられるようになった。期せずして戦後50年にあたり、戦後体制の終わりが唱えられた。高齢化、人口減少が危ぶまれるとともに、安全、教育、勤勉さ等日本社会の長所と思われた点の後退が顕著となった。

③ 私的なメディアの興隆

パソコン・携帯の普及により、個人の情報発信・処理能力が飛躍的に向上し、マスメデイアの力が相対的に低下した。個人的には、携帯もネットも導入はかなり遅かったが、それだけに現在の事態は脅威に思える。知人間のポケット同士で瞬時にメッセージが交換され(携帯メール)、疎遠な人の日常を常時垣間見られる(ブログ)等々。

 

80年代/90年代の切断面については、準備不足、時間切れであり、体験的に重要だと思われる事実を列挙することにとどめたい。どれもが日常的に語られるごくありふれた事柄であるが、これらを通じて見えてくるものは、80年代的な自閉空間に亀裂が生じるとともに、個々人の力が相対的に強化され、各人の自由度が増した事態である。北田は、個人の行動パターンが絶対的な「秩序」を基準とすることから相対的な他者との「つながり」を求めることへとシフトしたことを指摘する。その不安定さに飽き足らない者が、ナショナリズム等の「ロマン的対象」を新たに呼び出している、というのが「嗤う日本」での現状診断だった。

僕個人の実感から言えばどうなるだろうか。つながりを求めつつ、既存の空疎なシンボルではない新たなリアルを探ることが可能となる条件が整いつつあるような気もするのだが、やや楽観的すぎる見通しかもしれない。