大井川通信

大井川あたりの事ども

手袋をおとす

また別の日。

地元の駅前で、斜め前を歩いている女子高生が、そのさらに斜め前に落ちている手袋をさっと拾った。僕は、それを人が落としたところを見ていなかったし、歩道に落ちている黒っぽいものが手袋だとはすぐには気づかなかったから、今時落とし物を拾うとは奇特な女子高生だ、もしかして駅の事務室にでも届けるつもりなのかな、とばくぜんと思っていた。

すると、彼女はもうぜんと走り出した。ホームの上方にある駅に向かう階段の脇にはエスカレーターが付いているから、僕もふくめてたいていの人はそれに乗る。彼女は普段はエスカレーター派のはずだが、このときは階段をダッシュで駆け上りはじめた。体格のいい彼女が駆ける姿はけっこう目立った。

このとき僕はようやく、彼女が手袋を落とした人を追いかけて階段を選んだことに気がついた。落とし主はきっと急いでいて、階段を駆け上がることを選んだのだろう。階段とエスカレーターとの間には壁があるから、かんじんの場面は見過ごしたが、どうやら彼女は長い階段の途中で落とし主に手袋を渡すことに成功したようだ。

僕は、彼女をほめてあげたい気がしたが、そんな非常識なふるまいはできるものではない。賞賛は心の中にとどめた。

ただし、目の前の彼女の一連の行動が、主体的な判断に基づいてなされたようにはやはり思えなかった。やむにやまれぬ「発作」というか、とっさの「反射」的なふるまいのように見えたのだ。

普段は使わない長い階段をえらんで駆け上がるというようなことは、一瞬の反射とは違うプロセスを伴った行為ではあるけれども、落とし主に落とし物を戻す「原状回復」が目的だと考えると、行為の長短は外見上の違いにすぎないことがわかる。

ネットの検証動画では、日本では、落とし主に財布が100%戻ってくることが話題になっていたが、落とし物がお財布かそれ以外のもの(たとえば手袋)かは、主体的な判断を伴わない「原状回復のための反射」においては問題とならないということだろう。