大井川通信

大井川あたりの事ども

バベルの塔

マウス型ロボットが/高速戦車に追われて/砂嵐の砂漠を疾走する

戦車がロケットを発射すると/マウスは敵もろとも/砂を噴き上げて自爆する

 あと一台・・・

薄暗い塔の中/バビル2世は/大型モニターを見上げて/防衛システムに次々と指令を出す/すでに/立ち並ぶコンピューターや計器のあちこちから/炎と煙が上がっている

少年は/かかりつけの医院の待合室で/少年チャンピオンのページを閉じた/ヒーローの戦いが/いつ終わるのかもわからないまま

昨晩/横山光輝が/寝タバコの煙に包まれて/力つきた/(半身がすでに不自由だったという)/畳の上には/消火用のマウスロボットが二台/むなしく走り回っていて

夜が更ける/誰もいない寝室で/僕は小型のモニターをのぞき込んで/主を失った/バベルの塔と交信する

 

以前、横山光輝の訃報を聞いた時に、追悼の気持ちで書いたものを修正した。

横山光輝(1934-2004)が描く漫画の主人公は、僕のヒーローだった。とくに鉄人28号が典型的な、丸い胴体から四本の手足が伸びた形のロボットが、何より強そうでかっこいい。ガンダム以降の精巧なメカのようなロボットを見慣れている目には、なんとも旧時代の産物に見えるだろうが。

 

 

こんな夢をみた(その3)

とある施設の広い敷地の一角に、なぜか僕の所有する建物が建っている。夢の終わりの頃には、施設はなぜか学校になっていて、僕の所有物も、その校庭の隅の、かなり大きな建造物になっていた。夢の途中で設定が変更になるのはよくあることだ。むしろ、めまぐるしく変わっていく夢の世界を、あとから一つの物語として思い出そうとするところに無理があるのだろう。

初めは僕の所有する建物の三階に小さな和室のようなものがあって、そこに僕の職場の人が出入りしている。すると、隣の施設は僕の職場の建物だろうか。部屋の隅で、僕の知っている部長が、女性相手にさかんに映画談義をしているところに、職場から呼び出しがかかった。何年も前の同僚が、ふらっと上の階から降りてくる。おや、この建物には4階もあったのか。この辺から建物が巨大化してくる。

下から見上げると、建物がコンクリート製で、一階部分はピロティのような広場だ。学校の敷地だから、子どもたちが周囲に多く、よく見ると打ちっぱなしの壁は、たくさんの落書きで埋まっている。所有者なのに、意外に腹が立たないものだな、と思う。物珍しいのか、大人たちがピロティ部分に立ち入っているので、ここは個人の持ち物だと注意する。

その中に薄ら笑いを口元に浮かべた若い男とその彼女がいて、彼らだけを、扉の内側に招いて、家の中を見学させてあげようとする。やれやれ。ちょっと強そうな相手に媚びを売って、いい顔をしようとするいつものあれだ。階段をあがる途中で、男が、本当に怖いのは彼女のほうですよ、と言うので、なんだか本当に恐ろしくなる。

それなら、どんな相手でも瞬間的に外に移動させられる光線が発射できればいいや。(すると、相手の男は光線に撃たれて、けいれんし始める) それに、執事がアンドロイドで、強い力を出せればいいや。(すると、僕はロボットの執事に変わって、相手がびっくりする)

まるで、最新鋭の機械に守られた『バビル2世』のバベルの塔みたいだな、と思ったところで、夢から覚める。夢の覚め際の自覚的な想像が、夢の世界に干渉する感じは、初めてではなにしろ新鮮だった。

 

『視線と「私」』 木村洋二 1995

保育園で、園児たちが口々に「見よって、見よって」と叫ぶ姿を見て、20年以上前に出版された、この本のことを思い出した。

僕みたいな独学者は、行き当たりばったりに本を読んでいく中で、自分が生きて考えていく中で、本当に役に立つ論理を見つけていく。学生時代に出会った廣松哲学がそうだし、その10数年後に出会ったこの本もそうだ。有名、無名は関係ない。

あとで調べると、著者は、関西の心理学者を中心にしたソシオン理論の研究グループに所属していることがわかり、文献を少し集めてみたのだが、やはり一番しっくりくるのは、社会学者の書いたこの本だった。

問題は、私とは何か、である。その私とは、もちろん他者たちとの関係のネットワークの中に生きる存在である。このことの詳細な事実は、様々な研究や思索によって明らかにされてきている。この本(ソシオン理論)がすばらしいのは、その簡潔なまとめ方である。人間や社会を理解するために、最低限必要な部分だけを残して、あとはざっくりと切り捨てた、そのモデルの単純さである。

私とは何か。第一の要素は、「他者の像(姿)」である。第二の要素は、「他者から見られた、私の像(姿)」である。そして第三の要素が、「私にとっての私の像(姿)」となる。常識的に言えば、本当の私(私Ⅲ)を育てるのに、他者をモデル(私Ⅰ)にしたり、他者から承認(私Ⅱ)されたりすることが、手段として有効である、という理解になるだろう。しかし、ソシオンでは、その三つは、同じ価値をもつ私の構成要素であり、むしろ、順番や働きにおいて、第一と第二の要素が重要なものと考えられるのだ。

確固とした私という実体があって、それがたまたま他者を模倣したり、他者からの承認を求めたりする、ということではない。他者の模倣や、他者からの承認ということ自体が、かろうじて私の姿をつかませる。「見よって!見よって!見よって!」という園児たちの叫びは、いまだ不確かな自分に形を与えようとする、必死の試みなのだ。

木村洋二さんは、笑いの研究でマスコミに取り上げられたりしたが、2009年に他界されている。学恩に感謝したい。

 

 

 

タコウインナー、あるいは見立てるということ

保育園の園庭で、三歳くらいの女の子が、手のひらに、いくつもの小さな花弁を載せて、それを見せに来る。「タコういんなー」

赤い花弁を伏せた姿は、広がった花びらがタコの足のようで、なるほどタコ・ウインナーそっくりである。女の子の親は、ウインナーソーセージの切り込みを入れて、お弁当にタコウインナーを入れてあげるのだろう。

僕は女の子からそれを一つもらい、あとで園の先生に確かめると、ザクロの花だそうだ。僕だけでなく、周囲のたくさんの大人が、そのタコウインナーを見せられているのもわかった。まさに「見て、見て」である。

ザクロの花弁は、タコというより、タコウインナーの方によく似ている。そもそもタコウインナーは、ソーセージをタコに見立てたものだろう。女の子は、さらに、園庭に落ちている花弁を、タコウインナーに見立てたのだ。女の子も、その花弁をタコウインナーそのものと思っているわけではない。それなら、口に入れるはずだし、食べられないとわかれば、それが勘違いと気づくはずだから。彼女は、その見立てを発見し、楽しんでいるみたいだ。

世界が、見立てによって成り立っていること、無数の見立てによってくみ上げられた壮大な伽藍であることを教えてくれたのは、廣松渉の哲学だった。廣松自身は、そんな言葉使いはしていないが。

廣松渉の独特の言い回しは、こんな風である。世界の仕組みは、四つの項のつながり(「四肢的構造連関」)として取り出すことができる。あるもの(ザクロの花)をそれ以外のあるもの(タコウインナー)「として」見ることができるためには、ある人(幼児)が、それ以上のある人(タコウインナーがお弁当に入る家庭の子ども)「として」育てられていることが必要である。

あるもの、それ以上のあるもの、ある人、それ以上のある人、の四つの項の連動の要は、「として」(見立て)にある。廣松の考え方は武骨で、記号論のようなスマートさはない。しかし、はるかに根底的に世界のダイナミズムをつかむ道具となると実感している。

 

 

 

見よって!見よって!見よって!

保育園で、二歳から五歳までの園児たちと遊ぶ。広い園庭は草原となっており、里山の緑に抱かれているような素晴らしい環境だ。本当に久しぶりに幼児たちに接して、新鮮な気づきがあった。

昔、「異文化としての子ども」という本がよく読まれていたけれども、あらためて、幼児は、別の世界の生き物なんだと思う。

とにかく、泥んこ遊びが好き。砂場でもないのに、しゃがみこんで素手で土を容器にすくう。水がある場所では、喜んでこねて、ぐしゃぐしゃにする。

それから、虫が大好きだ。ダンゴムシはもちろんだが、バッタもハチも、小さな甲虫も草原で見つけては、器用に指先でつまんで持ち歩いている。

幼児たちは、どこかの時点で、きれい好きで抗菌剤が手放せないような、そして虫を気持ち悪がる大人へと変貌をとげるのだ。幼児たちのふるまいは、大人たちがどこからやってきたのか思い出させる。と同時に、少しおおげさに言えば、大人になることは、人間の宿命であることも感じさせてくれる。

ところで、二歳くらいの言葉もおぼつかない男の子が、自分で摘んだ黄色い花を見せに来てくれた。きれいな花を自分のものにする、というだけでは彼は満足できないのだ。年長さんたちは、鉄棒にぶらさがったり、逆上がりをしたりしながら、周囲の大人に、「見よって!見よって!見よって!」(この土地の方言で「見ていて」のこと)と口々に連呼する。彼らも、難しい遊びや技を体感するという以上の喜びを求めているのだろう。

まるで、ツバメの巣で、ヒナたちが親鳥に争ってエサを求めるような勢いで、人間の子どもたちは、大人からの承認や賞賛を求める。それは人として育つための必須の養分なのだろう。

長男が二歳の頃、リビングの丸いテーブルのふちにぐるりと、機関車トーマスの列車のおもちゃを並べるのが好きだったのを思い出す。彼は並べると、「みで(見て)、みで、みで」と、しつこいくらい親に要求した。「まんま(ご飯)」を別にすれば、それが彼からの最初期のメッセージとして印象に残っている。

 

 

 

芸は身を助ける

知り合いのやっているデイケア施設の6周年のお祭りで、何かやってくれと招待される。かつて霊場だった山のふもとの、ながめのいい斜面にある小さな施設だ。

施設に到着すると、すぐに紹介されるので、急いで赤い蝶ネクタイをつけて、出番となる。お年寄りや職員の人など、数十人がぐるりと取り囲んで、思ったより熱気がある。それに負けないように熱演する。

まずは、自己紹介を兼ねて、数年かけて浜辺でひろった珍しい漂着物を紹介する。一見きれいな巻貝に見える、タコのつくった殻。アオイガイとかカイダコと呼ばれるものだ。まるで宇宙人の頭骨みたいな、気味の悪い殻。ヒラタブンブクというウニの仲間だ。クイズ形式で、やり取りする。なかなか反応がいい。

次は、ヒラトモ様の由来を描いた手製の紙芝居。施設の「社長」の地元の神様だと話したので、興味をもってもらえたようだ。僕の住む住宅街の敬老会で披露したものを、3年ぶりに再演した。「最後は泣けるよ!」と、我ながら、アドリブの話術がさえる。村人から見捨てられたヒラトモ様が、月夜の晩にお供え物の木の根っこや里山の動物たちとけなげにお祭りをするのが、最後の場面だ。 

ラストは、手品でしめる。耳が突然大きくなる手品で驚かせたあと、数字あての手品。大きなトランプをひっくり返すたびに、数字が変わっていくもので、小学生の頃から人前で演じてきたものだ。ただし観客が取り囲んでいるので、裏面のタネを身体で隠しながら、「舞台」を駆け回って演じる。老舗手品メーカーの商品名は「残念でした」。

僕の出番のあとは、職員さんたちの音楽の演奏があって、大いに盛り上がってお開きとなった。心配していた出し物の評判の方は、まずまずだったようで、お世辞でまた来てほしいといってもらえた。巧拙はともかく、何かを伝えようという熱量が大切なのだと実感する。どのネタも、付け焼刃ではなくて、それなりに時間と手間をかけたものであるのが良かったかもしれない。

 

トンビに油揚げをさらわれる

こんどは、学校に行きにくい子どもたちに話す機会に、鳥の鳴き声について解説してみることにした。かりに人間関係に難しさを感じているなら、自然との友人関係は、どんなにか支えとなるだろう。

友だちになりたいなら、どうしたらいいかな。相手のことに関心をもって、よく知ることがたいせつだよね。

ごく短時間で、興味をもってもらうために、CDで聞く鳥の声は、さらに厳選する。まず、ハトとカラス。それぞれ身近な鳥だけれども、種類の違いがあることを知ってもらう。次に、ウグイスで、有名なさえずり以外にも、いろいろな鳴き声を出すことを説明する。

そして、トビ。海岸沿いの地元では、ふつうに見かける鳥だが、外見はびっくりするくらい立派なタカだし、ほとんど羽ばたかずに風に乗る飛び方にも特徴がある。鳥と人とのかかわりを知ってもらうために、トビ(トンビ)にまつわることわざを取り上げる。「トンビがタカを生む」「トンビに油揚げをさらわれる」

トンビがカラス追い払われる姿を見ると、しっかりしろと声をかけたくなるし、家族連れのお弁当をねらう姿を見かけることもある。

話が終わったあとに、海岸沿いを散歩していると、何かを空中に放り投げて、トビにエサをやっているおじさんに出会う。トビは、あの大きな身体ですばやくひるがえって、実に上手にその小さなエサをキャッチする。聞いてみると、ソーセージを小さくちぎったものだった。以前はパンを投げていたが、あまり捕らなくなったそうだ。ぜいたくになったんですね、と笑う。

 

 

お宝映像!

ゴミ出しから戻ってきた妻が、玄関で「お宝映像!お宝映像!」と声をあげる。出勤前で忙しかったけれど、笑顔に誘われて道に出ると、ゴミ捨て場の網に、タマムシがしがみついていた。光沢のある緑色の身体が美しい。自宅前で見かけることはめったにないから、たしかにお宝だ。

もう一匹は、駐車場に落ちているゴマダラカミキリ。妻も、いつも来るやつと説明するが、日中の住宅街にも飛んで来る虫で、子どもの頃からなじみがある。黒に白の斑点の宇宙服を着たようなスタイリッシュな外観はかっこいい。

妻は、裏口から駐車場を回って、ゴミ捨て場に行く間に、二匹を発見したのだろう。

ほめられた話ではないが、他の家と比べたら喧嘩が多くて、仲の良い夫婦とはとても言えない。原因は僕の偏屈だから、申し訳なく思っても、どうなるものでもない。それでも、いつの間にか僕の好きな鳥や虫に、妻が興味を示すようになって、話題にできるようになった。妻がもともと好きな昔話と、僕が新しく始めた聞き書きとが結びついて、いっしょに絵本を手作りするようにもなった。

その部分だけを見た人から、とても仲の良い理想の夫婦のように言われたりすると、二人で心底笑ってしまう。ただ、時間というものが、人と人の間のコリをほぐしたり、トゲを抜いたりしてくれる部分はあるのだと思う。

 

 

 

公民館青年室にて

ソレハネ チョットネ オモシロイネ/イトサンがせっかちに口をはさむ

シゴト ツカレタナー/旭通りの映画館で働いているモッチャンが/甲高い声で/飛び込んでくる

ソファーに長々と身体を投げ出したヨシムラサンが/退屈そうにあくびをする

僕はテーブルの片隅で/メンチカツをかじりながら/ノートを書く

それらすべてを/ふだんほとんど口を開かないオノサンが/柔和なまなざしで/ながめている

1982年9月 東京都国立市中区1丁目 中央公民館青年室

あのころの出来事は/記憶のもやの中に沈みかけているけれども/今になって/彼らの姿と言葉はくっきりと浮かびあがる

パパ ダメデショ ダッテ ナンナンナンナン ナンナンダカラ

ふいに耳元でひびく/得意げな息子の声が/それに重なって

 

※青年室というたまり場を出て、20年くらいたってから書いたもの。次男は、三歳になっても言葉が出てこなくて、小学校低学年の頃も、話す言葉の半分くらいは意味が取れなかった。その時からさらに十数年たち、次男も、イトサンたちと同じような働く青年になっている。

 

 

たまり場の記憶

たまり場「かっちぇて」が一時お休みするそうだ。けんちきさんとかおるこさんには、今年の一月にお話しをうかがって、先月には二人の不在時に「かっちぇて」のある坂段を訪問している。3年間開いてきた自宅でのたまり場を、さりげなく休止する。何かを終わらせ、何かをつなげて、何かを始める。自分たちの感覚と話し合いをなにより大切にする二人らしい。

僕も、大学時代、地元の公民館のたまり場に通っていた。青年室という部屋で、年齢が上の「障害」を持つ人を含む社会人の先輩たちと、成人式をきっかけに集まった地元の学生たちが主なメンバーで、大学の帰りなどに無意味に入り浸っていた。先輩たちが「障害を越えてともに自立する会」を作っていて、青年室の隣で、職業訓練と交流を目的としたカフェを始めていたから、自然とその活動に加わったりもしたが、立ち上げを知らなかったためか、さほど熱心でもなかった。ただ、常連の先輩たちとは仲良くなり、誕生日会に自宅に呼ばれたりもした。

今、次男が特別支援学校を卒業してから、勤務先と自宅とを往復するだけの生活になりがちだから、35年前のあの場所の意味が、あらためてわかるようになった。次男が仕事の帰りや休日に、地元の若者と友達づきあいできる場所が、果たして身近にあるだろうか。

公民館にあるおかげか、青年室とカフェは当時と変わらない姿で地元に残っていて、久しぶりに顔を出すと、当時とおなじように学生たちがそこにたまっている。35年前の経験者といえば、僕が学生の時代だったら、戦争中の人間がいきなり姿を現して来たようなものだ。僕は、自己紹介して、「青年室で無為にだらだらと過ごした時間が、あとになってとても貴重に思えます」と話すと、若い学生は、ちいさくうなづいてくれた。

いまは、たまり場や居場所というものが脚光を浴びるようになったけれど、「たまる」場所とは、本来、自分をもてあましたあげく、どうしようもなく引き寄せられるような、少しうしろめたい場所なのだと思う。だから、そこにいてただ座っているだけの人間が、はじかれることなく存在を認められるのだ。

そういう場所を体験することは、もしかしたら、その人の心の中のくらがりに、穏やかに他人と同居できる空間を開くことにつながるのかもしれない。