大井川通信

大井川あたりの事ども

作文的思考と同和問題(その2)

イデオロギー批判とか、自己欺瞞の指摘とか、抽象的に言ってもわかりにくいだろう。具体的にはこういうことだ。

大学生の僕は、差別ということの大元が、「ひとくくり」であることに気づいた。ひとくくりにしてしまうから、どんな切り捨ても不当な扱いも可能になってしまう。ひとくくりにしてしまうと、見ているようで、ひとりひとりの「顔」を見逃してしまうし、ひとりひとりに「名前」があることにも気づかない。

しかし、人間のあらゆる振る舞いのなかには「ひとくくり」がひそんでいる。そもそも言葉というものが、物事をひとくくりにすることによって成り立つものだ。だから、差別に反対する人間であることの最低条件は、「ひとくくり」の暴力とそれにともなう痛みに自覚的であることだ、と僕は考えた。

ところが、しにせの差別反対運動の現場では、あたりまえのように「ひとくくり」が横行していた。被差別当事者という「ひとくくり」の利益となるためであれば、「差別者」とか「行政」とか「管理職」とかいうレッテル張りが、何の痛みの意識も伴わずに行われているように見えたのだ。

だから、僕は、自分にできる範囲で、その一つ一つを指摘して回ったのだ。さらにさかのぼって、その「ひとくくり」を可能にするイデオロギーの構造を分析し、そこから距離をおくことが大切であることを訴えた。

そういう作業が批評であり、作文の使命であると本気で考えていたのだ。

今読んでもその時の文章は間違ったことは言っていないし、それが批評であることも確かだろう。でも、作文の本領は、そういうところにはないと今では思っている。

世の中には、様々な事実が語られることなく眠っている。作文は、その一つ一つに言葉を与え、肯定する作業なのだ。批判の袋小路にはまっていてはもったいない。

 

作文的思考と同和問題

社会人となってから、僕は東京から地方へ転居した。地方には、東京では見えなった被差別部落の解放運動があって、偶然のきっかけから、同和教育の運動とかかわるようになった。

そこでの経験を通じて、僕はかなりのエネルギーを使って、多くの作文を書いたけれども、あとから振り返ると、作文としては大きな進展や成果はなかったことに気づく。学生時代の焼き直し以上のものではなかった。

その理由を考えてみる。

当時の同和運動は、すでに出来上がっていて、現実を批判する方法や理論、現実変革の手法は完全にメニュー化されているものだった。当事者の運動として十分な成果をもたらしていたが、むしろ制度化の弊害や矛盾が明らかになっている時期だった。にもかかわらず、運動的な観点から、それが指摘しづらい雰囲気が強くあった。

この中で何かを考えるとしたら、運動の様々な矛盾点を指摘する方向にならざるを得ない。僕には東京での当事者運動のイメージがあったので、それを批判の根拠にすることができたが、イデオロギー批判というのは、それがたとえ正確であっても、後ろ向きで息苦しいものになりがちだ。

人は、誰かがたくみに普遍的な理想を語りながら、実際には自分(たち)の個別的な利害に基づいていることを指摘することはできる。その自己欺瞞をあばくことができる。しかし、その批判もその人間の個別的な利害から生じたものにすぎない。

僕の作文も、そうしたどうどうめぐりの罠にはまってしまっていたのだと思う。

作文的思考と「障害者」の運動

大学時代、岡庭昇を読んで自分なりの作文を書き始めた頃、地元の地域での運動にかかわった。きっかけは、成人式の自主開催を求めるみたいな集まりだったけれども、会場として使った公民館で、「障害」を持った人たちと出会うことになった。

公民館の青年学級で活動する人たち。それから、地域での自立生活運動を始めていた人たち。その時はわからなかったが、彼らは、日本の「当事者運動」の草分けを担った人たちだった。

学生運動の季節は過ぎていて、消費を中心にする豊かな、妙に浮かれた時代を迎えつつあった。しかし同時に、従来の反体制のロジックではとらえられない、様々なきしみや矛盾も明らかになってきていた。

当時大学では、今村先生の講義との出会いがあってニューアカデミズムと呼ばれる新しい思想の洗礼を受けていたが、それらの刺激を受けつつ僕が実際に何かを考えていたのは、身近な地域での活動であり、考えるための武器は作文だった。

具体的に何かを考えるための道具としての作文、という原体験は、あの頃にあったのだとつくづく思う。

 

 

 

 

作文的思考と岡庭昇

大学2年生の時に、国立中央図書館の書架で岡庭昇の『萩原朔太郎』を手にとって読むことがなければ、僕は今にいたるまで、作文を書き続けることはなかったと思う。

それは、自分の頭で、自分の手持ちの言葉で、誰それの権威によりかかることなく、外の世界に向って異議申し立てをする文体だった。今ふりかえると、それは日本の文芸評論の伝統につらなるものだった。

マルクスニーチェデリダフーコーといった思想界の権威を読んだり語ったりすることが、初めての思想体験であったなら、僕は大学を卒業したあとに作文を書き続けることはなかっただろうと思う。

岡庭昇は、当時絶大な人気のあった吉本隆明を批判するなど論争好きで、論述に荒っぽいところがあったり、テレビ局に勤務していたりしたために、あちこちから批判されたりののしられたりすることの多い批評家だった。だから岡庭昇から影響を受けたことは、少しも自慢になることではなかった。僕は、自分の言葉で考えるしかなかったのだ。

実際に80年代以降の岡庭の仕事は、僕にもしっくりこないものとなって、彼の著作からは離れてしまった。しかし彼は、その後も社会批評や文芸評論を書き続けている。近ごろネットの古書で岡庭の本を少しずつまた集めるようになった。

彼からの「学恩」に感謝するためにも、僕が彼から受け取ったものが何であるか確かめるためにも、彼の後年の仕事を読んでみようと思っている。

 

ネットのよる学習について(3)

図書館司書資格のためのネット学習についてプラス面を書いたので、今度はマイナス面を。

大学制度の問題なのか、その中で通信制というものの問題なのか、図書館学の問題なのか、図書館司書資格の問題なのか判別できないが、14科目の内容に重複が多すぎる。たしかに教科名をながめると、図書館をめぐる必要な分野が網羅的に体系づけられているようにも見えるが、図書館を中心にしてのどうどうめぐりの感も否めない。

研究や教育の必要があってその科目が生まれたというよりも、分類上その科目を作ったので、その内容があとからつくられたのではないかと疑われるほどだ。

それと関連があるのかもしれないが、テキストのレベルがまちまちすぎる。どうみても学問的レベルに達しておらず、実務家の感想文みたいなテキストが混在する。一方、有名学者の分担執筆でも、あきらかに手抜きの論述があったりする。学会内の内輪喧嘩の経緯をえんえん書いているが、初学者にはどうでもいいことだ。

内容の重複が多く、粗略なテキスト。まじめな向学心をもって、働きながら勉強しようとしている学生に対して、ずいぶん不親切なものに思えてしまう。どうにかならないのだろうか。

 

 

 

ネットによる学習について(2)

残り2科目は、自習ではなくて、「面接授業」を受けないといけない。これは3日間のスクーリングと、メディア授業とが選択できるので、当然ネットで受講できるメディア授業を選択したのだが、あとからこちらの方がはるかに大変だということに気づいた。

ネットで15回の授業を受講し、その間小テストがあったりする。かなりの情報量で専門的な内容なのだが、一つの科目は、教科書が指定されているものの、まったくそれに沿っていない。もう一つの科目は、教材が印刷できるのだが、これもレジュメのような簡単なものだ。

とても板書できるような量ではないので、まじめな人は画面のスクリーンショットをとってそれを手持ちのノート代わりにしていたようだが、僕はそこまでの技術も手間をかける気持ちもない。なんとか講義内容にあった教材や補助教材を費用を惜しまずに購入して、それを頼りに復習し、最後のテストにのぞんだ

結果は、かろうじて合格というところ。一つの科目ではとっさの機転が働かなかったら、見当違いの解答を書いていたところだった。メディア授業の科目は、通信授業の科目の何倍もの労力がかかった気がする。

というわけで、手元に残った段ボールひと箱分の教材群と参考書群をながめると、当初想定していたよりも、意外としっかり勉強させられた印象だ。

なにより、すべてをネットを介してやり切った、という達成感が大きい。科目の半数は、現物の本ではなく情報に関する内容だったこともあり、ネットに関する苦手意識やコンプレックスを多少とも払拭できたのが、収穫だった。

 

ネットによる学習について(1)

今年度の後半、通信制大学の科目履修生になって、図書館司書の学習をした。すべて教科書とネットによる学習で、すいぶんと発見があった。

一科目あたりの自分の学習パターンは、こんなふうだ。まずはテキストを流し読みする。そのあと指定された課題で2000字のレポートを作成する。テキストの該当部分をまとめるくらいで済む課題もあれば、参考文献にあったってその内容を反映させなければならないものや、図書館での現地調査の必要があるものもある。何度も書き直しによる再提出を求められる場合もあり、かなりの教育的効果があるだろう。

レポートを提出すると、ネット試験の申込ができる。試験勉強は、一教科あたり20問の予想問題(過去問?)集のようなものが渡されているから、各問題の答えとなるようなテキストの該当個所を拾い出し、マーカーでチェックしながら、頭で回答を思い描く。試験対策としては、実際に文章化するまでの必要はない。

この時点で、テキストは、レポート作成のためつけた作業用のチェックと、20問の予想問題の関連でつけたマーカーで、全体がかなり読み込んだ印象になっている。ネットによる試験で、すぐに該当個所が引けるように、各章ごとに付箋で見出しもつけてある。

今、この読み込んだ(ように見える)状態で並んでいる11科目分のテキストをみると、一般の大学生の使用済みテキストより、はるかに勉強の痕跡が残っている気がする。僕の時代の教科書はもちろん、息子が使った教科書よりも。

おそらく制度的に想定されている勉強量よりは、かなり少ない時間の学習しかしていないはずだが、自主的な作業の学習効果はかなりあるのではないか、という印象だ。

さて、ネットでの試験だが、指示された時間にネットで接続していると、問題が示されて、50分間でおよそ1000字程度の解答を作成しないといけない。たいていは、テキストをまとめればいいだけだが、一部ネットで調べる必要がある設問もある。時間的には余裕はないが、要領よく文章をまとめる力があれば、レポートよりは簡単に合格がもらえるようだ。

 

 

願わくは花の下にて・・・

例年、サクラの開花はそれなりに気になっていた。満開のサクラには心を奪われたし、それが散るのを惜しむ気持ちもあった。

サクラの開花と前後して、ツバメたちが南国から海を越えてやってくる。彼らの苦労を思いながら、初めの一羽の姿を見るのを心待ちにしていた。冬鳥への別れと、夏鳥への出会いが交錯して、鳥好きには気ぜわしい季節なのだ。

ところが。今年は、サクラの開花もツバメの飛来も、ほとんど意識することなくいつのまにか起きてしまって、すでに日常の風景の中に埋没している。

いうまでもなく、新型コロナウィルスによるパンデミックという事態と自分の身辺の変化に気を取られていたためだ。

恐らく2020年は、僕の人生の中で、1974年とか、1995年とかと同レベルの、世界の変動と自分の変化とが関連した象徴的な年号になる予感がする。僕が経験できる最後の大きな曲がり角かもしれない。しっかり、心して見定めておこう。

ただちょっと残念なのは、あわただしい出来事の前では、花も鳥も、それを愛でる心を僕が失ったしまったこと。まして死を前にしたときには、風流も文学もなく、ただうろたえるばかりになることだろう。

 

ハトは速い

川沿いの土手の道を車で通勤している。

いろんな鳥とすれ違ったり、鳥が横切ったりする。時々、川の上を飛ぶ鳥と、並んで走るようなことがある。

鳥がいったい、時速何キロくらいで飛ぶのか興味があるから、そういうときは、わざと鳥のスピードに合わせて走り、速度計で確認したりする。もちろん、事故につながるような急の加速や減速をするわけではない。制限速度50キロメートルの土手の道を流れる車とほぼ同じ速さなのだ。

計る機会があるのが、シラサギやアオサギなど大型のサギや、トビ、カラス、カモ類だ。速度計はだいたい50キロ前後。鳥だって、急いでいるときとのんびり滑空しているときとの違いはあるだろうけれども、速くても60キロには届かない印象があった。

それが今朝、後ろからさっと追い抜いていく鳥影がある。おそらく70キロは出ていただろう。見るとハトだった。

意外にも、身近すぎるハトの速度を計ったのは初めてのような気がする。川の上を流れにそって直線で飛ぶような習慣が、ハトにはないということだろう。

 

ブログ的思考

ブログを書き始めて9か月ほど経ってから、毎日の記事を(多少おくれながらも)かならず書くようになった。それからもう3年目に入っている。

毎日書くと、どうしても下手な記事も交じってしまう。しかし、間隔を開けたところで、つまらない記事を書いてしまうのは同じだろう。毎日書くことで、無理やり書いたテーマの文章が、思いがけず良いものになるというチャンスは少しは広がる。

毎日書くということと、自分の生活を起点にした作文であるということで、およそ他の人が続けて読んで面白いものにはならない。だから、読者を増やすための努力は、その手続きにうといこともあって、まったくやってこなかった。

それでも、ブログを書くということは独特の緊張感がある。僕が書くような記事はほとんど読まれることはないのだが、どうしたわけか長期間、検索にヒットして読み継がれる記事がごくまれにでてくる。

そういう記事はたしかに自分でも力を入れて書いたものには違いないが、力を込めて書いても一顧だにされないケースがほとんどなのだ。だからといって、投げやりに書いた文章が大勢の目に触れてしまってはたまらない。

このため、どの文章にも、最低限度の筋目を通そうという意識が強くはたらく。本やノートの中に書かれた文章は、少し時間がたてば紙の束の中に埋もれていく印象だが、ブログの文章は一つ一つが外界に直にさらされている感じなのだ。

今日で、通算の記事が1000本に到達する。