大井川通信

大井川あたりの事ども

詩集『声と冒険』(岡庭昇 1965)から

午後の乳母車の歌  岡庭昇   

乳母車が走る/やさしいそぶりで増殖しつづける霧を裂き/白いすじを作りながら/まっすぐに走ってゆく/九段坂上をぼくはゆっくり歩く/乳母車が千代田城濠わりの横を走ってゆく/熱っぽい眼、ひらかれようとするくちびる、破れた旗、いくつもの記憶が流れはげしく流れる/乳母車が石段を駆け上る/切りさかれた空/乳母車が車道を横切る/切りさかれたアスファルト/休日の群衆を乳母車がとびこえる/切りさかれた日ざし/乳母車が走る/切りさかれた麹町警察署/ぼくのなかにいくつもの言葉がふくらんでくる/やがて明晰さがぼくを跳ばせるだろう/乳母車が小さくなる/われわれの疲れた視線のむこう  疲れた並木のむこうの青い空からやってきて/乳母車はだるい昼食と広告キャンペーンと静かな生活の中にかけていく/(それはわれわれの義務であったはずのもので)/誰もさえぎることはできない

・・・以下略・・・

 

岡庭昇の処女詩集を初めて手にした。都会を走り続ける乳母車の幻想をリズミカルに歌うこの詩が気に入った。

「やがて明晰さがぼくを跳ばせるだろう」という詩句は、70年代の彼の批評家としての飛躍を予告しているようだ。

 

家庭の恐怖

妻は、実の兄との関係があまりよくなかった。それで10年ばかり会っていなかったのだが、先日、突然の訃報があった。通夜と葬儀に出て、いざ出棺の時に、手を合わせて「では、さようなら。来世は私の前に現れないでください」とお祈りして、お別れしたそうだ。

それはひどいね、と僕は苦笑した。そして、冗談で、僕の葬儀の時にもそう言うつもりなんじゃないの、と聞いてみた。

すると、妻は真顔で答える。「もちろん、そうよ」

住宅街の恐怖

今の街に引っ越して、まだ間もない時だったと思う。住宅の数も少なくて、今より周辺もだいぶさみしかった。夜中、子どもを残して夫婦で車を出した。翌日の用事にそなえて、買い物とガソリンの給油に行ったと記憶している。当時3歳の長男は寝付いていたし、同居の義母もおり、しっかり鍵も締めて出た。

目当てのスタンドが閉まっていて、予想より時間がかかったのは確かだった。ようやく家に近づいて、住宅街の下のため池の近くまで来たときだった。自動車のライトが、人気のない池沿いの道を照らすと、突然小さな子どもの姿が現れた。子どもは寝間着を着ているのだが、しっかりと前を見て、大きなサンダルをはいて、目的があるみたいにすたすたと歩いている。呆然と見送ってから、それが我が子であることに気づいた。

もう少し先の車道まで行っていたら、車にひかれていたかもしれない。そうでなくとも、どんな事故に巻き込まれたかわからないし、仮に無事でも、そこで見つけていなければ、自分たちが帰宅後に大変なパニックになっていただろう。

あとで子どもに聞くと、ブランコに乗りたかったという。確かにその方向には、隣の住宅街の児童公園がある。しかし、自分一人で鍵をあけ、怖いはずの真っ黒な夜に出て、いったい何に導かれてあんなに一心に歩いていたのか。今でもよくわからない。

旅するアサギマダラ

この秋はじめてアサギマダラを見た。松林を抜けるあたりの道の先に、一匹の大型の蝶が見えたが、フワフワ浮かぶような飛び方がアゲハとは違う。近づくと、白をベースに黒い縁取りと朱色が美しいアサギマダラで、ゆっくり林の上に消えていくのを、うっとりとして見送った。

アサギマダラは、場合によっては2000キロ以上という、途方もない距離の渡りをする蝶である。それが知られるようになったのは、比較的近年のことらしい。この地域では、春の北上の時は、海岸のスナビキソウに集まる。この春には、青い海原をバックに、数匹が舞う姿を見ることができた。秋の南下のときには、フジバカマの花に集まるが、林の中や住宅街などで思いがけず出くわすこともある。

虫好きのコラムニストの泉麻人が、アサギマダラの飛び方について、「ぎこちないというか、一種人工的で、よく幼児向けの番組なんかで出てくるピアノ線で吊ったオモチャの蝶の動き、に近い」と書いているが、言いえて妙だ。ただ、その穏やかな姿は、旅という過酷な使命を帯びているために、特別なオーラを放って見える。

如来田の道元

仕事の関係で、山間の禅寺を訪ねる。如来の田という美しい名前の土地で、700年以上の歴史をもつお寺だ。古びた石仏が並ぶ境内の隅には、コンクリート製の代替梵鐘が置かれている。戦時中、武器生産のため釣鐘が供出されたあと、木造の鐘楼がぐらつかないようにつりさげられたものだ。静かな山中にも戦争の爪痕は残されている。

住職はまだ青年の面影が残っていて、学問をしている人だった。こちらが背伸びして、なけなしの知識で質問をすると、気取らずに受け答えしてくれる。言葉の端々に道元への畏敬の念がうかがえた。今でも読むと、鳥肌がたつ、と。

僕の父親は、戦中派の文学青年で、道元を尊敬し、書棚に難解な主著を並べていた時もあった。永平寺にあこがれていて、僕が家を出てから、念願の参拝を果たしたらしい。その影響からか、僕もいつか道元を読んでみたい思いがあった。別れ際に、ぜひ読んでみて、またお話を伺いたいとお礼を言うと、住職は、あんまり勉強されたら困ります、と冗談で返した。

ハラビロカマキリの闘い(その3)

ハラビロカミキリの洗脳状態での不名誉な姿を記事にしてしまったので、彼の本領である真剣勝負を記録しておくことにしよう。

四、五年まえのことだ。自宅の玄関を入ろうとすると、地面から、ボリボリ、ボリボリ、という音が聞こえて来た。あわてて下を見ると、舗装道路のわきで、昆虫同士がからみあって落ちている。闘っているのは、ハラビロカマキリスズメバチだった。

優勢なのはスズメバチで、ボリボリというのは、スズメバチがカマキリの身体を噛み切っている音のようだ。ピンと張りつめた空気のなか、二匹の死闘を息を飲んで見つめる。名のある格闘家同士の闘い、いやもっと神聖なものに立ち会っている気がした。どのくらい時間が過ぎただろうか、スズメバチはカマキリの死骸から作った肉だんごを抱えて、巣へと飛び去っていった。

おそらくハラビロカマキリが王者スズメバチを襲い、返り討ちにあったのだろう。しかし勝負は時の運で、カマキリにも十分勝機があるらしい。

柿喰う客フェスティバル2017 「無差別」

劇団「柿喰う客」の旧作上演のフェスティバルで、「無差別」の再演を観る。面白かった。主宰の中屋敷法仁の才能と劇団の力量に、文句なく圧倒された。

やや前傾した円形の小さな舞台の上で演じ、踊るのは、黒いシンプルなコスチュームをまとった7人の女優だ。たったこれだけで、劇団の売りである「圧倒的なフィクション」が瞬時に立ち現れ、日本近代の時空を縦横無尽に駆け回ることになる。

戦前の村で、犬殺しとして差別される男と、それゆえに汚れを避けて育てられる美しい妹。妹を母親と慕う子犬。山では樹齢千年のクスノキが、元は怨霊の神である天神様の後ろ盾で、村の守り神として君臨している。仲間からイケニエにされかけたカタワのモグラが、知略によってクスノキを倒して山の神にのし上がり、一方、クスノキは恨みを抱いたキノコに化ける。モグラの神の求めに応じて、村人は盲目の舞いの名手を呼び寄せるが、モグラは彼に恋して、神の地位を追われる。

こういう差別と情念が入り乱れた村に、原爆によって黒い雨が降り、あらゆる人間も生き物も神も「無差別」に傷ついてしまう。一方、戦争から命からがら帰ってきた犬殺しの男は、新憲法が「無差別」に保障する人権に愕然とする。戦後の科学技術と民主主義の「無差別」の神に背を向けて、傷ついた兄と妹は、また別の世界を作るために国産みの神話を力強く反復しつつ、舞台は閉じる。

実は5年前初演を観たときには、差別の問題や激しい情念の表現に少しとまどってしまい、かんじんのモチーフを受けとめ損ねていた。しかし、その後、地元の大井川歩きを続ける中で、この社会にとって、共同体の神々から近代の神への転換が、今でも大きなつまずきの石であると気づかされた。このことに真正面から向き合うには、言葉とエネルギーの過剰が不可欠なのだ。日本近代に拮抗する物語を作り上げ、それを魅力的な舞台に仕上げた「柿喰う客」には、今はリスペクトの気持ちしかない。


また身の下相談にお答えします 上野千鶴子 2017

上野さんが新しいフェミニズム論をひっさげて活躍していたころ、僕も若かったこともあって、だいぶ影響を受けた。冷戦終結の頃と思うが、社会主義がテーマの大きなシンポジウムで、壇上にいた大御所のいいだももが、フロアの上野に向けて「理論的挑戦をしたい」と呼びかけた場面が、時代の一コマとして記憶に残っている。そのあと彼女は、戦闘的なフェミニストの象徴として『上野千鶴子なんかこわくない』なんて本が出版されるなど、何かと話題や批判の対象になっていく。老後論でベストセラーを書いたり、若手の社会学者を育てたり、本格的なケア論を書いたりという多彩な活動を遠くから眺めるだけになっても、自治体主催の講演などがあれば話を聞きにいった。内容だけではなく、その場での立ち居振る舞いがとにかく見事で魅力的だった。

ただし、ここしばらくは、「右傾化」の流れで逆風にさらされている印象もあった。昨年、近隣の市主催の講演会に名前を見つけて、おやっと思ったのだが、この本を読むと、今や上野さんは全国紙の身の上相談の名回答者として人気を博しているそうだ。ゾンビみたいに何度も生き返る人だ。

この本の相談者たちの親子関係や夫婦関係や性の問題は、ことごとく「変」である。ただ、たまたま打ち明けないだけで、誰もが密かに「変」を抱えているだろう。僕自身が実際にそうだ。岸田秀のように人間を「本能が壊れた生物」と定義すれば、「変」がむしろ本然の姿ということになる。海に挑み続けるカマキリみたいに、人間は不可解で不条理な存在だ。しかしそれがわかったところで、悩みや葛藤が消えるわけでもない。だからと言って昨今のメディアの論調のように、不倫や教育や家族について「倫理」や「正解」を振りかざしても、問題はこじれるだけだろう。「変」であることに悩み、なんとか「変」と折り合いをつけて、いやむしろ「変」そのものとして、よりよく生きていきたいと思う。そういうふり幅の大きな実際の人間のあり方に対して、上野の指南は正確で、あたたかい。人気があるのも当然だと思う。

ずいぶん若いころ、地方の公民館の集会で、上野さんの理論書にサインを求めたことがある。若い男性に来てもらえるのはありがたい、とお世辞を言われ「連帯のために」という言葉を添えてくれた。実はそれ以来、上野さんをどこかで異性として意識しているのだが、これもまたずいぶんと「変」な話である。

「運慶」展で高僧に出会う

話題になってるから、というくらいの理由で、上野の運慶展に立ち寄る。東京国立博物館は、平日なのにかなりの人の出だった。素人目にも、運慶の手がけた彫像は、力強さといい繊細さといい、抜きん出た印象を受ける。その中で、遠目にも、たたずまいが全く異質だったのが、無著菩薩と世親菩薩の二人の立像だった。彼らは、観覧者のざわめきを超然として見下ろしている。

僕は高僧と言われる人に実際に出会ったことはない。しかし、そこに立っているのは、彫刻作品ではなく、まぎれもなく圧倒的な徳をもつ僧の姿だった。無著菩薩は、何もかも見通すような鋭い眼差しで、世親菩薩は、あたたかく包みこむような強い眼差しで、それぞれ問いかけてくる。「お前に仏法は届いているのか」と。

二人が見下ろす視線に囚われて、僕はしばらく身動きすることができなかった。その間の言葉にならない問答を通じて、彼らから教えを直に受けた気がしている。

ハラビロカマキリの闘い(その2)

翌日浜辺を歩くと、また別の場所で、海水に濡れた緑色のハラビロカマキリを見つけた。障害物のないきれいな遠浅の砂浜で、カマキリは思い切り自由にふるまえるし、こちら側も変な先入観なく観察することができた。

カマキリは、まず、海に向かって真っすぐに立ち、大きな波が打ち寄せてくるのを明らかに待っている。波が届かないからといって、波打ち際にどんどん歩いていくということはしない。すると、ようやく足元に届くくらいの波がくるが、ふんばって姿勢をくずさない。次にさらに大きな波が来て、カマキリを飲み込む。水の中で腹を見せてひっくり返りながら、一メートルばかり押し戻される。カマキリは大慌てで、両方のかまを砂に引っ掛けて態勢を立て直す。波が引いても、しばらくうつぶせの姿勢で身を低くして動かない。やがて、身を起こすと、ある程度の大きさの波が届くくらいの場所まで、すたすたと歩いていく。波が来るまで、口を使って濡れたかまや足の手入れをしたりする。やがて、大きな波がやって来て、カマキリを押しもどす・・・これを何度も繰り返している。

今日は波が比較的荒く、沖には波を待って器用に波乗りするサーファーたちの姿が見える。カマキリの様子は、彼らとまったく同じだ。波にもみくちゃにされながらも、ちゅうちょなく元の場所に戻るカマキリは、波に飲まれるのを楽しんでいるようにしか見えない。寄生虫ハリガネムシの分泌する物質によって、カマキリの脳は、人間なみに生存本能を超えた欲望や幻想を抱くようになったのではないか。そんな想像をしてしまうほど、彼のふるまいは人間的で、ルールのある遊びのようだ。