大井川通信

大井川あたりの事ども

コジュケイの「ぴ~ぁ」

朝、周囲の林から、「チョットコイ、チョットコイ」と大声で鳴く鳥の声が聞こえる。近頃は、春先ほどには耳にしなくなったが、コジュケイだ。たいていはヤブの中だが、たまに道路わきにその腰高の姿をみせることもある。ウズラとニワトリのかけあわせみたいな鳥だ。

ところが今朝は、その「チョットコイ」の繰り返しがいつの間にか、「ピーァ」という一声の叫びに変わっている。「ピーァ」と鳴いて、しばらくしてから、また「ピーァ」と聞こえる。

声質や声量が同じだから同じ「歌い手」なのだと気づいたが、初めの「チョットコイ」がなければ、さすがにコジュケイとはわからなかっただろう。さっそく図鑑を開くと、コジュケイの項目で、「ピーァ」とも鳴くと説明している。

建物の外に出て耳を澄ましていると、職場の若い人たちが通りかかったので、得意げに説明する。迷惑かもしれないが、仕事柄役にたつ知識ではあるので、がまんしてもらおう。

もともと日本にいなかったコジュケイは放鳥で増えた鳥だが、最初の放鳥は1919年という記録があるそうだ。来年で来日100年。誰もお祝いはしないのだろうけど。

 

 

 

 

 

『カセットテープ少年時代』 マキタスポーツ×スージー鈴木 2018

「80年代歌謡曲解放区」が副題。BSテレビでの二人の対談番組の書籍化。

サザンやチェッカーズユーミン松田聖子など、80年代当時に爆発的に売れて、時代の音楽としてすっかり耳になじんでいるけれども、語られることが少なかった歌謡曲を、縦横無尽に語りつくしていて爽快だ。

当時でいえば、吉本隆明清志郎を論じたり、竹田青嗣が陽水の評論を書いたり、思想家たちが自分の手持ちの理論を使って、外から音楽を批評の材料にしたことはあった。その場合は、ここに時代の本質的な表現がある、という大げさなスタンスになる。

しかし、この本では、音楽としての側面を技術的に細かく扱うとともに、歌詞の世界についても、著者たちの個人史をふまえ、社会の動きとからめてていねいに語られる。そして、80年代のすぐれた楽曲が、いかに新しい内容と仕掛けをもった魅力的なものだったかを訴えっている。

こんなことができる著者たちの能力と情熱が、とてもうらやましい。僕も80年代の多くの曲を繰り返し耳にして、その魅力に十分気づきながら、それが何に由来するか、語る言葉をまったくもたなかったから。遅ればせながら、音楽や楽器の勉強を始めたい、と思ったくらいだ。

ところで、マキタスポーツは、荒井由美の「瞳を閉じて」について、こう話す。

 

「遠いところへ~」の、だんだんメロディーが飛翔していく。あの、狭かった視野が、ビュワーっとパノラマに広がるような感じ。カメラがぶわっと飛翔して、俯瞰する感じ! 詞だけを抜き出したら、そんなにたいした詞じゃなく思えちゃうんですよ。だけど音文一致感が凄いんです。

 

実際に曲を聞くと、彼の言うことがよくわかる。言葉だけでみると平凡なイメージが、メロディーの力と一体となることで、特別の高揚と感動をもたらしている。こうした「音文一致」の仕掛けが高度化すると、言葉だけの現代詩は置き去りにされてしまうだろう。すくなくとも、楽曲の歌詞に対して、おおきなハンデをもつことになる。

僕が現代詩を読み始めたのは、80年代の初めだった。個人的に、このハンデの存在が気になってしかたがなかった記憶があるが、それがちょうど歌謡曲の高度化の時期と重なっていたからだろうと気づかされた。

 

 

 

 

 

 

 

『少女不十分』 西尾維新 2011

はじめから逃げをうつようだが、西尾維新という作家も、彼が描く作品のジャンルも、ほとんど何もしらない。おそらくジャンルによる特有の約束事や、楽しみ方のようなものがあるのだろう。それだけでなく、巻末の作品リストや、帯でのコピーから判断するかぎり、これは作者やジャンルの一般的な傾向を代表する作品ではないようだ。異色作ということになると、部外者にはなおさら作品のねらいがつかみづらくなる。

などと、作品の語りに伝染したように、優柔不断な書き出しになってしまった。一人称の語り手は、ああでもない、こうでもないと、自己分析と自己診断を重ねる。10年前の回想という設定だから、そこに現在の自分との比較が加わって、さらに言葉数がましていく。ひと昔前なら、「自意識過剰」と形容されていたが、今はそういう言葉は使わないのだろうか。

こういう語り手の、言葉数の多さや腰の決まらなさは、現在の何かのリアリティをすくい取っている気がする。読み手も、きっとわずらわしさ以上の何かを受け取っているのだろう。しかし、その「何か」は、今の僕にはちょっとうまく説明できない。

作家志望の大学生である語り手は、小学生の少女の交通死亡事故を目撃する。その場に居合わせた別の正体不明の少女によって、後日、彼は脅されて、少女の自宅に監禁される。その何日間かの少女と大学生とのやりとりが、例の水増しされた文体で語られていくのだ。

謎は二つある。一つは、この10年前の出来事が、彼を職業作家を続けることを可能にしたトラウマだと説明されるのだが、その理由は最後まで想像がつかない。もう一つは、少女の異常な行動の謎である。これは監禁生活の中で、次第に明らかになる。

第一の謎については、クライマックスでの説明にカタルシスはあった。そこまでの展開はややダレた感じもあっただけに、それは物語の救いになっている。第二の謎については、少女の造形が類型的に思えて、監禁の動機やふるまいについても納得できるものではなかった。ただし、この一見とっぴな類型性が、かえって子どもたちの現状や願望を反映しているのかもしれない。

僕がこの本を手にしたのは、仕事上話をした本好きの女子中学生が、面白かった小説として教えてくれたからだった。適応指導教室に通っていた彼女が、感情移入したのは、もちろん少女の方だろう。少女の視点に立てば、悲惨な環境に育った少女が、大学生との屈折した関係によって救われる話になる。

リアリズムを装っていたこの小説は、末尾のハッピーエンドの仕掛けによって、一気に作り物めいた物語の世界に転じることになる。ふつうの小説としては、どうかと思える結末だが、僕には、意外にこの転回が気持ちよかった。これが「物語の力」なのだろう。

 

 

 

 

 

ツバメの再来

僕の住む街では、ツバメは、三月の中旬にやってきて、八月の終わり頃に姿を消す。初めて見た日は印象に残るが、最後に見た日というのはなかなかわからない。9月に入って、あれそういえば近頃まったく見ないな、と気づくくらいだ。

ツバメを見かけなくなってから二週間以上たった今朝、職場の玄関前に、元気にとびかうツバメの群を見つけて驚いた。実は、九月に入ってからも、田んぼなどで数羽のツバメを見かける機会はあった。その時は、何らかの事情で、仲間といっしょに南の国にかえれなかったツバメだと思って、気の毒な気がしていた。越冬ツバメという、哀愁にみちた演歌もあったような。

しかし、この元気な群を見ているうちに、自分の考えの間違いに気づいた。ツバメは、日本列島の各地に、一カ月以上の時間差で現れる。今見ているツバメは、東日本や北日本で夏を過ごした群の渡りの途中なのだ。なるほど彼らは、昼前にはもう姿を消していた。

これから秋に見るツバメには、同情するのではなく、エールをおくろう。そう思った。

 

山雀の五右衛門風呂

ヤマガラ(山雀)は、住宅街にもよくでてくるシジュウカラ四十雀)によく似た小鳥だ。シジュウカラは、黒白の頭に灰色の羽をもつ小鳥。こうかくと地味なようだが、色の塗分けがきれいで、モダンな印象。

一方、ヤマガラは、お腹が濃いオレンジなのはいいが、全体にちょっとくすんでいて、やや田舎の匂いがする。見かけるのも、森や林の中が多い気がする。

雨上がりの林の散歩コースを歩いていると、遠くの木の幹にせわしなく動く小鳥を見つけたので、双眼鏡を向けた。ヤマガラが、ちょっと不思議な動きをしている。幹の高さ2メートルくらいのところに上を向いた穴があって、おそらく水がたまっているのだろう。そこにおしりから入って、首まで浸かってから、すぐに出てきて、ブルっと身体をふるわす。水滴が飛び散る。たまに全身が見えなくなって、穴から水滴が飛び散ることもある。

カラスの行水というたとえがあるが、その二、三秒の水浴びを、僕が見てからだけでも20回以上繰り返していた。幹の丸い穴に首だけ出しているところは、まるで天然のゴエモン風呂に入っているみたいだ。やがて、すっかり満足したのか、林の奥へ飛んで行った。

 

榜示(ぼうじ)とクスの木

ようやく涼しい日が続くようになってきた。今年は、7月から連日の猛暑が続き、8月のお盆がすぎても、暑さが手をゆるめなかった。35度超が当たり前だった。足首を痛めるというアクシデントも加わり、しばらく歩いていなかったのだが、今朝久しぶりに、住宅街の坂を下った。

田んぼが本当にきれいだ。一枚一枚の田んぼが、イネの種類や成長の速度の違いからか、微妙に色の濃さが違っている。青のグラデーションがまばゆい。

大井川の小さな堤を歩くと、和歌神社、薬師堂、水神様の姿が見える。堤の幅が広くなる場所は、大井炭鉱の石炭を運ぶトラックが、橋を渡ってそこから堤を通ったから、と教えてもらったことがある。

川沿いで何羽かのシラサギの姿を見た後、悠然と飛ぶ一羽のアオサギの大きさに目を奪われる。まるで翼竜プテラノドンだ。鳥は恐竜の子孫だと言われいるのが、なるほどと思える姿だ。

中屋敷と枡丸の集落の中を歩いたあと、街道沿いの観音堂とクスの大木のところまで歩いて、折り返した。ここには、榜示(ぼうじ)という地名が残っている。小字名は、由来のよくわからないものがほとんどだが、この地名ばかりは、柳田国男の本でその意味を知ることができた。

 

村の境には以前も標木を立て、または天然の樹木をこの目的に利用していた。これを榜示といい、その場所を榜示処(ぼうじど)といった。(「地名の研究」1936)

 

通勤で街道を車で走る時には、一瞬で通りすぎてしまう場所だが、実際に歩くと、ここは確かに村の境だと実感する。

帰り道、街道脇の田んぼにおりて、しゃがんで浅い水たまりをのぞいてみる。目がなれてくると、あちこちで泥をにごして泳ぎ回る小さな姿を見つけることができた。10年以上前から、ハイイロゲンゴロウの生息を確認している場所なのだ。夏の終わりに、ようやく彼らの元気な姿を見つけて、ほっとする。

 

天体望遠鏡の話

実家の片付けをしていたら、押し入れの奥に細長い段ボールが立てかけてあるのを見つけた。すっかり忘れていたが、小学生の時に買った天体望遠鏡である。

アポロ計画をはじめとする宇宙開発にも影響されたのだろうが、当時の子どもたちの間で、天文学や天体観測は、人気のある趣味だった。学研の科学雑誌の付録の天体望遠鏡では満足できずに、デパートのカメラ屋に、本物の望遠鏡を見に行って、持ち帰ったカタログを穴があくほど眺めていた。ニコンや高橋製作所など各メーカーの人気機種を覚えたり、マニアックに接眼レンズの名前とそのレンズの構成を紙に書いて記憶したりした。オルソスコピックやケルナー等々。

そうしてようやく手に入れたのが、固定式の三脚と、シンプルな経緯台、何の付属品もついていない一番安価な屈折式の望遠鏡だった。それでも、色消しの40ミリの対物レンズの焦点距離は800ミリあって、細長く白い鏡筒は、一応天体望遠鏡らしく見えた。当時、どんなにうれしかったかを思い出すと、捨てるわけにはいかない。

ミザール望遠鏡 ニューコロナ型 4,500円

自宅に届いた愛機を40年ぶりに組み立てて、保存していた展示用の正札を、くすんだ鏡筒にかけてみる。デパートの展示品みたいにりりしく見えるのは、親ばかみたいなものなのか。

 

9.11の夜

どうということのない日常の出来事が、いつまでも新鮮に思い出されるということはあるが、やはり社会的に大きな事件は、はっきり記憶に残るものだ。

2001年の当時は、仕事が忙しく、深夜の帰宅が当たり前だった。長男が小学校に入学し、次男は2歳に。頭を床にたたきつけるヘッドバッティングを始めていて、帰宅のとき自宅に近づくと、その音が聞こえてくるのが憂鬱だったころだ。

たしか夜の12時前後に家の戻ると、テレビがついていて、ふだんあまりニュースに関心がない妻が、大変なことが起きていると興奮して話した。画面には、世界貿易センタービルの遠景が映し出され、ビルからは、煙があがっている。一機目の旅客機がビルに突っ込んだ後だったのかもしれない。

そのあと多くの報道があったが、特に印象に残っているのが、火災に追われて、高層階の窓に折り重なるように殺到する人々の姿だ。次々と、そこから落ちてくる人がいる。小さな粒のような人間が、しかしはっきりと表情まで見えるような気がして、いたたまれなかった。

あれから17年がたち、両親を含めて、たくさんの知り合いが、この世を去っている。どんな気持ちで、その時を迎えたのか。

僕も、子どもの頃、運動会で徒競走の順番を待つ時のように、だんだん前に並ぶ列が少なくなってきているのを感じる。

 

 

 

『くだもののにおいのする日』 松井啓子 1980

2014年に新装復刊された詩集を購入した。学生時代、詩をよく読んでいた頃に活躍していた詩人だから、名前くらいは知っていた。

 

ひとりでごはんを食べていると/うしろで何か落ちるでしょ/ふりむくと/また何か落ちるでしょ

ちょっと落ちて/どんどん落ちて/壁が落ちて 柱が落ちて/ひとりでに折り重なって/最後に ゆっくり/ぜんたいが落ちるでしょ

手を洗っていると/膝が落ちて 肩が落ちて/なんだかするっとぬけるでしょ

ひとりでごはんを食べていると/うしろで何か落ちるでしょ          (「うしろで何か」)

 

半年ばかり前に読んだときには、22篇中、7篇に付せんを貼っていた。今回読み直してみて、ざっと△が6篇、〇が10篇になった。7割超えの驚異の「高打率」である。とくに、前回ノーマークの作品で、今回いきなり〇評価となったのが、5篇もあったのは驚きだった。

経験上、現代詩は、一読して何かのひっかかりがないと、再読したからといって面白みを見つけることはまずない、と思っていた。そうばかりではないと気づかされる。

このところ詩を集中的に読んで、言葉への感度が少しは良くなったのかもしれない。それ以上に、詩人の言葉がみずみずしくて、ゆっくりつまみ上げると、果汁がポタポタしたたりおちるくらいの鮮度をたもっているからだろう。

やわらかな言葉が、ここちいいリズムで、日常の不思議を押しひろげるような作品がそろっている。素敵な詩集に出会えたことを、喜びたい。

 

 

 

羽田信生先生のこと

今年も、近所の浄土真宗の勉強会に、米国から羽田信生先生が講義に来られたので、公開講座に参加した。8年前に初めてお話をうかがってから、講義を聴講するのは5回目になるが、そのつど強い印象を受けた。仏教徒でもなく、宗教についても門外漢の僕が、仏教を身近に感じられるのは、羽田先生との出会いのおかげといっていい。

たいていの日本の仏教者は、経典や学問や寺院や宗派や儀式やらの関係にがんじがらめにされた場所で、各方面に気兼ねしながら言葉を発している気がする。偏見かもしれないが、しかしそれでは言葉はこちらに届かない。羽田先生には、単独者のおもむきがあって、自らが法や真理と向き合う場所から、ストレートに力強い言葉を投げかけてくる。

羽田先生は、大学時代に偶然、ある仏教者の著作に出会い、その力強さに引き込まれて、仏教の研究を始めたという。25歳の時に渡米して、以後47年間、仏教の研究と布教をおこなってきた。日本にある様々な後ろ盾が使えない場所で、英語という外国語を手段として、まったく文化的背景の異なる人たちに教えを説く、というのは想像を絶する困難な作業だろうと思う。真意を伝えるだけでなく、生き方まで影響を与えるということなのだろうから。

おそらく言葉がするどく研ぎ澄まされ、先生自身の存在と一体化することで、かろうじて他者のふところに飛び込んで、その心臓をつかまえることができたのだと思う。

今回の講演でも、羽田先生は、仏教の根本原理を、おどろくほどシンプルに切り出してみせる。ふつう簡単な整理は通俗的で浅薄になる。しかし、先生の言葉は、根本を煮詰めたように深く、生き生きとして鮮やかだ。

仏教の教えは、「私とは何か」という内省に尽きる。「苦」の生活から、内省によって自らの内なる「無常」に目覚め、「無我」の生活を開始する。その内容は、法と一つになり、大きな無限の命とともに生きることだ。そうして人生を完成させることだ、と羽田先生は力強く語りかける。これだけなのだ、と。

信仰の言葉として、つまり一人の人間が迷いの世界の中でよりよく生きるための道しるべとして、間然するところのないものだと思う。仏教徒ではなく、自称の哲学徒に過ぎない僕も、十分に咀嚼してみたい。