大井川通信

大井川あたりの事ども

影絵の世界

母親の義弟にあたる叔父から聞いた話。
僕の父親が、勤務先のミシン会社の同僚だった叔父を1年間じっくり観察した後で、この人なら大丈夫と、母の妹の結婚相手に紹介したのだという。勝気の叔母は、私は家のある人でないと結婚しないと言ったそうだ。(ひょっとすると、断る口実だったかもしれない)しかし叔父は、しゃかりきになって金策し土地を探して家を建て、なんとか結婚にこぎつける。東京オリンピックの翌年というから、昭和40年のことだ。
文学青年あがりで、浮世離れしていた父だが、親戚づきあいなど俗事に妙にマメなところがあった。考えてみれば、父親自身、義兄から母親を紹介されている。恩送り、ということだろうか。しかし世話をした以上、責任が発生する。両親も、この姉夫婦を、家の増築費用を借りるなど頼りにしている様子だった。一方、妹夫婦に対しては、何かと相談に乗っているふうだった。
今では考えられないような、世話をやいたり、やかれたりの人間関係。子供心に見つめていた両親や叔父叔母の濃密なふるまいは、今では遠く、影絵のようだ。


挺身隊の思い出

母は、終戦前の一年ばかり、千葉の軍需工場で、女子挺身隊として働いていた。三菱の軍用機を作っていて、完成するとみんなで機体を送り出したそうだ。勤務中に工場の疎開も経験している。

同僚なのか、兵士だったのかは聞きもらしたが、地方出身の若い男の人と、地元の友だちとグループ交際みたいなことをしていたらしい。母の地元の東金の八鶴湖(はっかっこ)は、今でも桜の名所だが、当時、工場の休みの日に、みんなで花見に出かけたそうだ。母の実家は、街中の畳屋だが、家が汚くて恥ずかしいから、店の前の通りを避けて案内したというのが母親らしい。

相手の二人の名前を覚えていて、そのうちの一人は、北海道出身でかわいらしい顔をしていたと懐かしそうだ。母親も16歳。あの頃が、一番楽しかった、と話してくれた。
今日は母親の納骨の日だった。高台の見晴らしのいい霊園に、母の遺骨を納めた。楽しい思い出とともに、旅立ってくれたらと願う。
 
 

十力の謎

今ではほとんど使われなくなってしまった村の小字の地名には、不思議なものが多い。いくら眺めても、口でいってみても、よくわからない。地元の小字名で、唯一自分で解明できたと思えるのが、十力(じゅうりき)だ。

大井の中でも古くからある集落で、江戸時代には、「本村」を名乗っていたこともあったようだ。戸数はおそらく十数軒で、力丸姓と中山姓が多い。偶然、力丸の本家のおばあさんから、おそらく力丸家の由来に関係していると思えるお話を聞けたのだ。

力丸家では、十人の山伏のお墓を、先祖まつりのときにみんなでお参りしていたと彼女はいう。たしかに村の納骨堂の前の、お墓らしき場所には、花を供える筒が十個ならんでいる。しかし、他の力丸家のお年寄りに聞いても、それが山伏の墓だと知る人はいない。現在、力丸を名乗る家は、七軒ばかりある。村から出ていく人もいただろうから、もとは十軒でもおかしくない。もし十人の山伏が、それぞれ力丸の姓を名乗ったとするなら、力丸家が十軒あるから、その場所を「十力」と呼ぶようになったと考えられる。これに気づいたときに、身体がふるえるほど興奮した。十力を「重力」と書く地図もあるのだが、そうなったらますます解読は困難になってしまう。

大井に住む敬愛する「ひろちゃん」の娘さんは、子供の頃、村の運動会で地域別に集まったときに、十力という地名が、とても不思議だったそうだ。だから、僕の解釈に、驚き、賛同してくれた。たった一人の調査が、土地の人の共感につながるのが、なによりうれしい。

 

 

『今を生きるための現代詩』 渡邊十絲子 2013

5年ぶりの再読。老練の荒川洋治の著作を読んだあとだからか、著者の「詩人」としての自意識の固さが、はじめは気になった。「詩はよくわからない」という人は、詩の大切さがわかっているくせに、子供の感想みたいなことしかいえないものだから、自分を守っているだけだ、みたいな世間への敵意むき出しの言葉もある。一貫して、詩と詩人のすばらしさとともに、詩を読むということの特別さが語られており、国語の教科書や詩の授業、そこでの凡庸な読みが攻撃の対象となる。

僕は、どちらかといえば、国語の教科書を通じて詩を好きになった人間である。あと、詩の一行一行を説明した学燈社のアンソロジー。解説の豊富な旺文社文庫。そこでまず、朔太郎や光太郎、達治や丸山薫、村野四郎らを好きになった。著者は、学校教育が詩嫌いを作っているというが、多くの人にとって、詩というものに触れる貴重な機会になっているという面の方が大きいと思う。

しかし、それほどすばらしい現代詩が、ここまで読まれない原因が、学校教育とわかりやすさのみを求める世間の風潮という他責的なものだけ、というのはどうなんだろうか。現代詩というジャンル自体や、現在詩人をなのっている人たちの作品に問題はないのか。荒川洋治の本には、そのあたりにも批評的な視線が届いていたと思う。

とはいえ、現代詩への手引きとしては、荒川の本よりはるかに役に立つだろう。17編の作品がほとんどまるごと引用されているから、現代詩の詩集として読むこともできる。著者の体験から書き起こされた文章は読みやすいし、詩を読む上でのアイデアも豊富で、かなり論理的でもある。

ところで、著者は、詩は解釈するものではない、という正当な主張から始めているのだが、後半で、比較的新しい詩人である川田絢音井坂洋子の作品を扱う時には、かなり一義的な読み解きを与えているように思える。著者がそうせざるを得なかったところに、現代詩というものの混迷や難しさがあるような気がする。おそらく、高度な読み解きの面白さとセットにならないと作品として成立しにくい傾向があるのかもしれない。


私と鳥とお年寄りと

先日、若い友人の教師が遊びにきてくれた。今、何をしているのか聞かれたので、お年寄りと話すようにしている、と答えた。その流れで、かなり適当な理屈だけど、こんな話をした。子どもはかわいい。子どもには未来がある。子どもは教えたことをタオルみたいに吸収する。大人の思惑を超える振る舞いで驚かせてもくれる。ひょっとしたら、思い出や感謝の気持ちをもち続けてくれるかもしれない。

お年寄りとつきあうことは、たぶんのその正反対の事だ。聞き書きで、その人しか知らない昔話を聞いて、それを簡単な絵本にして、手渡す。読んでもらう。それは、そこで完結する。未来なんてない。聞き書きができれば、何かは残るだろうが、もうそういうこともできない人も多い。

今日、仕事の帰りに、お年寄りたちが暮らしをする家に立ち寄って、いろいろ忘れてしまっているみたいな人と話をした。しかし、ほんの少しでも思い出す喜びがあるのは、だれもいっしょだ。縁側からの風が気持ちがいいことと、今住んでいる家がとてもいいところだ、という話もできる。

少しくらい会話が難しくとも、僕のことがよくわからなくて、すぐに話したことを忘れてしまったとしても、気にならないのはなぜなのだろう。帰り道に、きっと鳥が好きで、ながく鳥を暮らしの友として生きているからだろうと、思い当った。野鳥は、僕のことに関心などもっていないし、直接何かを与えてくれるわけではない。でも、彼らが存在する様子と気配が、何より心強くうれしいのだ。

 

 

再び路上へ

台風のあと、梅雨前線による大雨が降り、朝晩は肌寒さを感じるような日が続いた。今朝は久しぶりに晴れ上がり、気温も上がるという予報だったので、日差しが強くなる前に家を出た。この夏初めてのクマゼミの声が聞こえる。

よく、ストリートだとか、路上だとかが言われる。そこは、若者が新しい文化を生み出し、新たな抵抗や闘争を行う自由の場所であると持ち上げられる。しかし、田舎のあぜ道や集落の路地だって、立派な路上なのだ。

そこには、政治も文化もあり、歴史も闘争もある。聞き耳を立て、すばやく身をこなし、言葉を駆使すれば、自由や創造を味わうこともできる。そして何より、無垢であることが大切だ。人々に、自然に、歴史の痕跡に対して、むき出しの好奇心で身を開くこと。

今朝も、足の向くまま、平井の集落を歩く。新しい家なのに、二階の屋根の妻に、こて絵というのだろうか、美しい文様を浮き彫りにした家を発見した。たまたま裏口に顔を出したお年寄りに、立派ですね、と声をかける。90歳になるという男性は、徐々に警戒を解いて、こちらの質問にも答えてくれる。むしろ僕の方が、路上で聞き覚えた名前や知識がすぐに出てこなくてもどかしい。

街道沿いに座頭さんがおりましたよね。そうでした、荒木勝心さん。以前は平井に住んでいたそうですが。へえ、このちかくだったのですか。僕は息子さんのお嫁さんから聞き取りをしたことがあるのです。遺品の琵琶があるそうです。

やりとりをしながら、この土地でのいろいろな宿題を思い出す。平井といえば、雨ごいの笠仏(かさぼとけ)だ。ご主人は、笠仏のお祭りには参加したことはなかったようだが、その存在はご存知だった。つい、笠仏の手作り絵本を制作中であると吹聴してしまう。すっかりさぼっていたが、こちらも早く仕上げようと思った。

 

 

 

 

トビとアオサギ

またしてもトビの話題で申し訳ない。鳥好きの人からみれば、おそろしく雑な鳥見報告に思えるだろう。しかし、珍しい場面を目撃したので、記録しておきたい。

かなり上空をトビが旋回している。その近くを旋回する鳥がいるのだが、トビの仲間にしては形が違う。翼の大きさは同じくらいなのだが、細長い首が突き出ている。瞬間的にアオサギと判断したのは、このあたりではダイサギよりも多いのと、色も白くは見えなかったためだ。それほど高く、双眼鏡も手元になかった。

サギは直線的に飛ぶことが多くて、トビのように旋回しながら滑空することは見た記憶がない。サギは明らかにトビのあとを追う素振りを見せており、ほとんど交差するように接近する時もある。あきらかにサギのほうからトビに仕掛けている。ふだん首を縮めて飛ぶサギが、首を伸ばしクチバシを突き出しているように見えるのは、攻撃的なサインなのだろうか。

トビの方から攻撃し返す様子は見えないが、場所を譲って逃げ出すわけでもない。このためこの「空中戦」はかなり長く続いていたのだが、やがてサギの方が、仲間の一羽に促されるように、森の方へ消えていった。ふだん田んぼや小川で黙想するようにたたずんで、魚を待ち伏せするアオサギを見慣れている目には、意外なほどやんちゃな振る舞いだった。

カラスにちょっかい出され、追いかけられるトビを見かけることは多いが、サギにまで追い回される姿は初めてみた。ますます、トビ、しっかりしろよといいたくなる。

 

『詩とことば』 荒川洋治 2004

理由があって、詩について、少しまとめて考えようと思い立った。新しく、手に入りやすい詩論を探しても、今はほとんど出版されていない。結局、積読の蔵書から読み始めることにする。荒川洋治は、世代を代表する詩人で、僕にも好きな詩がある。感覚的に好きでたまらない詩すらある。たとえば、処女詩集冒頭の一行。「方法の午後、ひとは、視えるものを視ることができない」 

この本の特徴。まず、なぜ詩が読まれないか、という問いから入っていく。この問いについては、本の末尾近くで、一応の答えが与えられる。人と言葉の関係が単純になり、思考力や想像力を要する詩の言葉が避けられるようになった。人々が、言葉の想像力よりも、モノを楽しむようになった。しかし、詩人たちにも、気力や叫びが無くなっているのではないかと指摘する。ところで、かつては、詩だけでなく、評論の言葉も興奮し、燃えていたという指摘は興味深い。多くの批評家が、フィールドをこえて詩歌を論じる時代があったのだ。

そもそも、詩と詩でない言葉との敷居が低い。その境界に目をこらしている。だから、詩以外のものからの引用も多い。詩や、詩人を特権的なものと誇る様子が見られない。行分けや繰り返し、リズム、飛躍などの持つ意味や、散文との距離を、神秘化せずにそのものとして語っていく。

優れた詩人であり文章家ならではの、繊細な詩論がある。一つの詩が終わったところから、その終わった空気の中から、終わった詩の波を呼び戻すように書かれるのが、優れた詩だという指摘。

では、詩とは何か。「詩のことばは、個人の思いを、個人のことばで伝えることを応援し、支持する。その人の感じること、思うこと、体験したこと。それがどんなにわかりにくいことばで表されていても、詩は、それでいい、そのままでいいと、その人にささやくのだ」 だから、詩が過剰に持ち上げられなくなり、読まれなくなることによって、「詩は、ひとりになった。詩は人が生きるという、そのことに、今とても近づいているのだと思う」 好感の持てる言葉だ。今度は、僕らの側からも、詩に対して、それでいい、そのままでいいとささやく番だろうか。

 

笹の葉ラプソディ

涼宮ハルヒの消失』からの流れで、七夕にちなんで、ハルヒのアニメシリーズの『笹の葉ラプソディ』を観なおしてみた。

アニメは、大学時代に『装甲騎兵ボトムズ』にはまったのを最後に、ガンダムエヴァンゲリオンも見ていない。ようやく数年前に、たまたま有名だからという理由でハルヒを手に取ったときにも、初めは五分おきに再生をストップして、何度も見るのをやめようかと思ったくらいだ。
やがて、高校生のリアルな日常と、宇宙レベルのストーリー展開(セカイ系、というのだろうか)が新鮮で、夢中になった。ただし、ハルヒの良さは、ハルヒ自身が自分のとんでもない力に無自覚なために、宇宙人でも未来人でも超能力者でもない、平凡な高校生のキョンとの関係が物語の軸となっている点だ。ハルヒは、なぜキョンを選んだのか。この回では、その理由が半ば種明かしされる。
3年前の七夕の夜、中学一年生の涼宮ハルヒは中学の校庭いっぱいに謎の象形文字のメッセージを描くという事件を起こす。夜の校庭でその作業を手伝ったのが、未来人みくるの導きで、3年前の世界に送り込まれたキョン自身だったのだ。その時のキョンの言葉をきっかけに、ハルヒはやがて北高に進学し、SOS団を結成することになる。
みくるは相変わらずオロオロし、長門は寡黙に困難な仕事をこなし、小泉は傍観者というふうに、この20数分にはシリーズのエッセンスが詰まっている。中学一年生のハルヒが校庭に残したメッセージが、実は宇宙語で「私はここにいる」だというのも、意味深い。その祈りの現場に居合わせたのが、キョンだったということも。
僕たちも、実はハルヒのように、この世界の中心として、この世界の色調を変えたり、この世界を終わらせたりする力を持っている。しかし、それゆえに、この世界ではハルヒのように孤立して自分をもてあまし、「私はここにいる」と遠い誰かに向けて祈らざるを得ない存在だ。しかし、そこで救いとなるのは、たまたま居合わせただけのクラスメートや隣人や家族とのありふれた関係だったりする。ハルヒの一見荒唐無稽なストーリーの魅力は、この間の機微をしっかりつかんでいるところにあると思う。
 
 

オウム教祖、死刑執行

麻原彰晃らオウム教団幹部の死刑が執行された。早朝から記録的な大雨となり、通勤途上、田んぼのイネもあぜ道も水没して湖面のように広がっていたり、濁流が川岸からあふれそうになったりするのを見て、不安な胸騒ぎのする朝だった。

今まで死刑囚について、麻原ほどマスコミを通じてたくさんの映像や肉声に触れ、生い立ちからその思想や行状にいたるまで情報をもつことはなかった。だから、今回は、死刑という制度が、生きた人間を意図的に殺すことなんだと、はじめて実感したような気がする。死刑制度の当否や死刑判決の正邪はともかくとして。

オウム事件から僕が受け取ったのは、つまるところ、次の三つの問いとその答えだ。初めの二つはありふれたものだが、残りの一つは聞きなれないものかもしれない。

一つ目は、若い「優秀な」信者たちが、なぜ「蒙昧な」オウムを信じたのか、というもの。麻原は鍼灸を学びヨガを実践するなど、身体技術の名手だった。一方、若者たちは頭でっかちに合理的な認識を育んでいても、身体による経験や技術を軽視する風潮の中で育っている。麻原が導く身体経験の迫真にたやすく取り込まれたのだろう。

二つ目は、信者たちは、なぜ「ポア」という殺人に突き進んだのか、という問い。これは、オウムの教義における、あっけないほど単純明快な「死」の定義による。死は、輪廻転生によって次の世界(ステージ)に移行するためのきっかけにすぎない。そして、最終解脱者たる教祖だけは、この輪廻転生の行方を見極め、それをコントロールすることができる。そうであれば、教祖の指示に従うことが、自分にとっても他人にとっても輪廻転生においてよい結果をもたらすことになるだろう。

現代社会は「身体」と同様に、「死」についてもそれを隠蔽しようとしてきた。「死」に免疫のない若者たちは、それと根気よく向き合うことができずに、麻原が断言する、宗教的な粉飾をまぶしたおとぎ話に飛びついてしまったのだろう。

三つめは、麻原がなぜあんな風に壊れてしまったのか、という問いだ。吉本隆明は、麻原が裁判において堂々と自分の宗教的な確信を語ったらどうなるか、と問い、実際にそれを期待した。現世の裁判所は、宗教的な価値観を裁くことができるのかと。(当然ながら、吉本のコメントは世間から多くの批判を浴びた) 普通に考えると、死刑は免れない以上、そうすることが麻原自身にとっても一番都合の良い身の処し方だったはずだ。自分の宗教者としてのプライドも傷つかず、残った信者たちによって死後も名声が保たれるだろうから。

しかし、麻原は、裁判では異常でみっともない振る舞いを繰り返し、弟子からも呆れられ、みずから神格化の道を閉ざしてしまった。当時は刑を逃れるための姑息な戦略とも言われたが、どうやら本当に人として壊れてしまったようなのだ。

教団の内部では、弟子たちは教祖への依存を深めていただろうが、教祖の側も、弟子からの視線や期待によって、自分の存在を作り変えていったのだと思う。ましてオウムは、身体技術による濃密な関係が介在する。通常の組織であったならば、上司と部下の関係がどんなに強いものであっても、その役割から抜け出して、組織の外で個人としての存在を取り戻すことは可能だろう。しかし、オウムの場合、出家組織の頂点にいた麻原の人格は、多数の弟子との関係によって、何重にも編みかえられていたはずだ。こうして麻原をネットワークの頂点とする共同身体性ともいうべきものが成立する。

オウムの暴走の背景には、太田俊寛の『オウム真理教の精神史』(2011)が詳細に分析するような近代批判の諸思潮があるだろう。しかし、これらの諸思潮を受けとめて狂気の実践を行うことは、個々人に担えることではなく、化け物じみた共同身体性の仕業と考えたほうがわかりやすい。

逮捕によって、麻原という頭部は、教団からも弟子たちからも引き離されて、物理的にこの共同身体性からもぎ取られた。頭部だけになった麻原が、意味不明のことをブツブツとつぶやき、やがて全くしゃべらなくなってしまったというのは、(今朝の死刑執行を待たずに)この共同身体の死を意味していたのかもしれない。