大井川通信

大井川あたりの事ども

サークルあれこれ(その3 MMA的勉強会)

MMAとは、mixed martial arts  の略称で「総合格闘技」のこと。打撃や投技、関節技など様々な技術を駆使して戦う格闘技で、名称も競技としての歴史も比較的新しい。日本では「異種格闘技」の方が耳になじみがあって、比喩としても通りやすいだろう。、この命名はほんの思いつきだ。

閑話休題。この総合格闘技的、あるいは異種格闘技的な勉強会は、もともと安部さんと始めた二人だけの会だ。共通のテーマや課題図書がある勉強会なら複数の人が参加できるが、様々なテーマについて即興で技を繰り出す勉強会は、腕に覚えのない参加者はおいていかれてしまう可能性がある。一対一ならば、相手の反応によって自由に攻め手を変えることができる。

安部さんは格闘技とは無縁の優男だが、美術、文学、映画、音楽、思想等全般についての愛好家だ。様々な人生経験を積み重ねてもいる。2006年の9月の最初の会は、「宗教」のテーマを扱い、「批評」「建築」「夢」と続いた。

時々中断をはさみながら、後期には映写技師の吉田さんも加わってもらい、三人の会となったが、日程等の調整が難しくなって57回で終了。あらたに吉田さんとの二人の会になってからはコロナ禍でも最小限の休みだけで月例開催を堅持して、今月で60回目となる。

安部さんの時は、僕がテーマを決めてレジュメを書き、それをもとに安部さんのフリートークを引き出すというやり方だったが、吉田さんとの会では、お互いが論じたいテーマとレジュメを持ち寄るという方法に落ち着いている。

吉田さんは、映画の専門家だが、漫画、アニメ、テレビ等のサブカルに強く、蔵書家、収集家でもある。独自の感性と思索力の持ち主で、いまだに予想外の引出を開けて驚かされることがある。同世代ということもあり、僕が面白いと思ったネタを遠慮なくぶつけられる相手だ。

相手にさえ恵まれれば、この形式の勉強会は内容、日時、場所も機動的に設定できて、なおかつ満足度も高い。仲の良い友人同士が、月に一度お茶会をして会話を楽しむのと同じように見えるかもしれないけれども。

 

 

 

 

 

 

行橋詣で(2024年3月)

以前は特急を行橋で降りそびれたことがあったが、今回は、別路線にいく電車に乗り間違えてしまい、気づいたら見慣れない山間部を走っている。よく見たら古びたワンマン車両だ。のどかな無人駅で降りて折り返しを待つことになった。

日曜日の商店街は相変わらず人がいないが、ひな祭りのイベントのチラシがはってある。ちょうど昨年の今頃妻のリクエストで商店街のお店を訪れて、たまたま路地の奥にある教会を発見したのだった。その発端がなければ、今のおつきあいはなかった。

春の訪れにふさわしく、桜の花弁が二輪浮かんだワインをお持ちする。教会長さんたちの宿泊研修会で泊まったという川棚のお茶菓子を出していただく。

大矢先生のお話の動画を視聴し、いただいた文章を読んで、教祖の御理解集を丹念に読み始めた話をする。大矢先生の本気に気押さ大矢「おかげ」や「取次」について教祖の言葉にさかのぼって了解する必要を感じたためだ。大矢先生の信念は、異国の環境に鍛えられたものという推測には同意していただける。著名な学者と大矢先生たちとの討議記録については、井手先生は、自分がふだん向き合っている信奉者たちにかける言葉とは、別の次元にあると話される。しかしどちらも大切なのだと。

大村さんのメールにあった金光教信奉者のお祖父さんのエピソードを朗読する。お祖父さんが大工さんだったことから、自然の素材に丁寧に向き合う職人さんの仕事ぶりに話がうつり、古建築ファンの僕が宮大工の真似事ができたエピソードを話す。

大谷大学のコンウェル先生の話に浄土真宗の核心をみた思いがしたこと、しかし、個人的な苦難に対して、「無量寿阿弥陀仏)のお育て」としてのみ了解し受け止めることには無理があり、我々凡人には「願い」が肯定されるプロセスが必要ではないかという持論を話す。金光教の「取次」の価値について生硬な持論を口走ってしまったが、僕にとっての考えどころだ。

 

 

サークルあれこれ(その2 思想系読書会)

日本の風土で哲学思想(というより論理)を語り合うことの困難を骨身にしみて考え続けることのできた読書会。30年にわたってつかずはなれずの関係をつづけたおかげで、いろいろな課題を見つけることができた。そのことはいくつかの記事に書いてきた。

今まで触れてこなかったことを書いてみよう。隔月開催を30年間続けてこられたのは、ひとえに主宰の別府さんの実務家(編集者)としての持続力だ。本好きの人は得てして気まぐれで飽きっぽいし感情の起伏も激しい。自分の思い通りの会にならないと嫌気がさす。

僕自身も、2000年前後の頃と、2010年代半ばの頃にそれぞれ3年程度の長期離脱をしている。ちょっとしたいさかいが原因だ。そういう人間が主宰者なら会はすぐにストップしてしまうだろう。とにかく人が集まって二次会で飲むのが楽しみだという人が中心でないと、読書会は継続しないのだろう。

この10年の会のエンジンは、詩人の高野さんだ。僕は長年、レジュメは簡単でいいから議論中心の会にしようと自分なりに実践してきたが、影響力はなかった。高野さんの馬力で現在、レジュメがなく事前課題をお互い議論するという形式も定着しつつある。英文学者である高野さんの影響で、小説を課題図書にすることも多くなった。

しかし、小説を扱っても、思想系読書会としてのクセは揺るがない。これは自分を含めてほとんど出入りなく定着している高齢メンバー(50代以上が中心)の個性だろう。作品の細部についてのうんちくをえんえん語ってしまいがちだ。参加者の発言はぶつ切りの断言命題であり、当日の会においても、また次の会に向けても有機的につながっていく気配がない。

それでも学生のあしらいに慣れている大学教員の高野さんが会の中心で回していると、なんとなくコミュニケーションが成立し、議論が生まれているように錯覚してしまうから不思議だ。あるとき高野さんにそのことを尋ねてみると、アメリカ留学時代に身に着けた技術だという。とにかく聞き取れたポイントが一つでもあれば、それだけで相手に反応して即座に返すことができる。

不器用な僕は、心底感心してしまった。これも主宰の別府さんとは別の意味で、会を成立させ持続させるための影の努力といえるだろう。

 

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サークルあれこれ(その1 詩歌読書会)

僕は月に一回、詩歌を読む読書会に参加している。初回が萩原朔太郎の『月に吠える』で2019年6月30日だったから、それ以来6年近くになる。事情があって行けない時もあるから実際の参加率は、三分の二くらいかもしれない。

主宰の神保さんは古書店を兼ねたブックバーを経営していて、福岡の文芸サークル関係では名の通った人だ。現代詩や短歌の実作者でもある。和歌や俳句の古典から現代詩、あるいは海外の詩まで選書の幅が広いので、何が課題にあがるのかが楽しみだ。

神保さんの友人で歌人の銀耳(ぎんじ)さんが常連メンバー。銀耳さんとは不思議な縁がある。数年前、彼の出身高校のことが話題になったので、僕が若い頃その高校の事務室で働いていたことを話した。すると彼が、僕のことを覚えていると言い出したのだ。事務室に奨学金の相談に行ったときに、子ども扱いせずに丁寧に対応してくれた若い事務員の面影が僕にあるという。

相手によって話し方を変えないのが僕の信条だから、彼の記憶は間違いないだろう。とはいえ30年も前のことだ。高校の事務室はやりがいの持ちにくい職場であまりいい思い出はなかったけれど、少し報われたような気持ちになった。

この二人以外に、準常連といえるメンバーが僕を含め数人いるくらい。SNSでの発信力があって顔の広い主催者にもかかわらず新規の参加者がほとんどいないのは、純粋に詩歌を読むことの需要がいかに少ないかを物語っていると思う。俳句や短歌等を実際に作る場の需要の方が一定ある気がする。

薄暗いバーでワンドリンク(食事も可)をオーダーして、古い丸テーブルを囲んで開く雰囲気も独特だ。会場が神保さんの店でないのは、自分の店では彼が酒をゆっくり飲めないからだという。課題の詩集等から各人が3作品を選んで感想を述べ、他の参加者全員の意見を聞くというやり方は、おそらく句会や歌会にならったものだろう。少人数で約二時間、めいっぱい詩歌について語り合う実に濃密な時間だ。

自分の選択についてはネタを用意できるが、他の参加者が選んだ作品には臨機応変な受け答えが必要だ。即興で詩歌の感想をまとめることについて、ずいぶん鍛えてもらったような気がする。選ぶということが詩を真剣に読む手段として優れていることにも気づかされた。

おそらく読書会が盛んになったといわれる今でも、詩歌に関して、これだけレベルが高く継続的な読書会は、全国的にもまれではないのか。詩に対して愛憎半ばの僕にとって、ほんとうに有難い会だ。

 

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月がついてくる話(安部公房生誕100年)

長男を子育て中、幼児だった彼が、自動車の窓から月を見つけて、「どうして月がついてくるの?」と不思議がっていた時期があった。なるほど、窓の景色はどんどん飛び去って行くのに、いつまでも夜空の月は風景を横切って追いすがってくる。

僕も同じような経験があった。実家には自家用車などなかったし、今のように娯楽の機会も多くなかった。お正月の夜、同じ街に住む親せきの家まで歩いていき、お年玉をもらって従兄たちと遊び、御馳走を食べてテレビを見て夜遅く帰ってくるのが、毎年の楽しみな非日常体験の一つだった。

幼い子どもには夜の街を歩く機会なんてめったにない。住宅街の細い道を家族と帰ってくるとき、空高く輝く月が、住宅の軒や庭木の梢をかすって、ずっとついて来るのが不思議で印象に残っている。

安部公房のエッセイ集『笑う月』を読むと、タイトル名のエッセイに興味深い夢の話がかかれていた。安部は子どもの頃から、笑い顔の月に追いかけられる夢を繰り返しみたそうだ。ただこれは空の月ではなく、地面のすぐ上を飛ぶ直径数メートルの笑顔の満月だというのが面白い。これは大人になっても続き、その結末は、あわてて家の駆けこんだときに、月の顔をぐにゃりとドアにはさんでしまう嫌な感触が残るという不気味なものだ。

たぶんあまりに恐怖の感覚が強すぎるためだろう、安部公房はその夢が何に基づくものか推測できないようで、このエッセイはその種明かしなしに終わっている。しかし、第三者からしてみたら、笑う月の恐怖の夢がどんな実体験をもとにしているかは明らかだと思う。そもそも我々の日常生活で、月はついてくるものだからだ。

今日で、安部公房がこの世に生を受けてから100年になる。まだ彼は悪夢の中で、謎の月に追われているのだろうか。

 

 

 

 

 

『続・ゆかいな仏教』 橋爪大三郎・大澤真幸 2017

『ゆかいな仏教』があまりに面白かったので、その続編を注文して読んでみた。同じ対話形式の本でも、前著の半分くらいのボリュームしかない。前著は、本づくりのために仏教を網羅的に語ったものだが、今回は雑誌掲載の対談2本をまとめただけだから、分量の違い以上に扱われている知識量が少なく、あっさりとした印象だ。

しかしその分テーマが絞られているので、前著よりも理解が深まったところもあった。一本目の対談は、キリスト教と仏教との違いを語ったもの。とくにキリストと釈迦という神と人間とを媒介する位置にいる存在について、その性格の違いを際立たせるものだった。こんな重要な論点を、正面からわかりやすく語ってくれるような本は見当たらないだろう。

二本目の対談は、インドで発祥した仏教がどのようなもので、それが日本で受容されて実際にどのように変わったのか、という論点だ。これこそ日本で仏教を語る以上、なによりも重要な問題だと思うのだが、日本の仏教者にとっては語りにくい部分のようで、たいていあいまいにしか扱われない。各宗派は我こそは仏教の正統であると主張するわけだから。

しかし、考えてみれば、最低この二つの論点を踏まえないと、今日本で仏教をまじめに信仰することなどできないはずである。

日本は、近代化以降西欧の価値観、制度を激しく取り入れてきた。その根底にはキリスト教がある。近代化された生活を送りながら、その生活の根底にある考え方と異質の仏教を受け入れるというなら、キリスト教と仏教との違いを明確に意識する必要があるだろう。また、仏教の中にインド本来のものとそれが日本化されて変更されたものがあるというなら、その腑分けをせずにあいまいに全部を受け入れることなど許されないはずである。

ところが日本の仏教徒の現状は、たまたま自分が縁のあった宗派の先生に教えられた理屈(上の二つの論点を経由していない以上、どんなに難解な教義を背景にしていても、あいまいでよくわからないものにならざるをえない)をありがたく受け入れるくらいのことしかできていない。実際、僕がそうだった。

10年以上、近所の聞法道場に定期的に参加してすぐれた先生の教えに触れたり書物をあさったりしてみても、仏教とその日本化された形態のおおざっぱな輪郭さえ、頭に入っていなかったのだ。それでも、あくまで部分的に了解できるところだけを納得して満足していたのだ。

先生がある時、聞法道場の高弟から尋ねられた「浄土とは何か」という問いに対して、ダンススクールみたいなものだと答えていたが、その真意は、この二冊の本を読むまでよくわからなかった。仏教の世界観の輪郭が頭に入っていなかったからだ。しかしそれを問うた勉強家の高弟の方にしても、事情は同じなのかもしれない。

また、先生が、仏教は智慧において救われるものだと強調する言葉も、印象には残っても腑に落ちるようなことはなかったと思う。ところが、この本では、仏教の知的な性格を「人ではなく真理にコミットメントする」(大澤)と説明したり、もっとも善いことは世界の因果性を知的に認識することだが、一神教のように世界が神の言葉で作られているわけではないので、この因果性の認識は「非言語的」なものとなる(橋爪)という明解な説明が与えられる。

問題は細かい知識の量やその正確さなどではなく、世界を単純化しうる太い論理の把握であることに気づかせてくれる本だ。

 

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お互いに空気であること

近代短歌の名作集を読んでいたら、老いた作者が、その妻を「空気」みたいな存在だと表現する歌があった。昔の歌なので、当時から「空気」という比喩表現があったことに驚く参加者の声もあった。

たしかに高齢になってお互いが空気の様に気にならなくなった夫婦の話を聞くこともあるし、そうした姿が老夫婦の理想像であるような世間の「空気」もある。でも、ほんとうのところそれはどうだろうか。山本七平に有名な『空気の研究』という本があるが、それによれば空気とは日本的な権力や支配の原理なのだったと思う。

空気のようだと自由に感じているのは夫の方で、夫にそう感じさせるための努力や無理を妻の方がしていたのではないか。その水面下の努力のおかげで、夫婦間の摩擦のない関係が維持されていたのではないか。

亡くなった僕の両親も、とくに晩年になると仲のいい夫婦だったが、専業主婦で隣家の叔父家族の家事も手伝っていた母親は働き者で、毎朝父より早く起き出して炊事し、父親が帰宅した時に横になっている姿を決して見せなかった。それが当たり前だと思っていると、今の夫婦関係ではいさかいの原因となってしまう。

父親が晩年に交通事故で遠方の病院に長期間入院していた時は、毎日必ず病院に行って何かと世話をやいていた。今から振り返ると、母親のかいがいしい努力が、家族を支えていたのだと思う。そのうえで、父親も子どもたちも母親を空気みたいに思ってきたのだ。

ちなみに、その歌は窪田空穂(1877-1967)最晩年の以下の作品。あらためて読むと、老化からさらに進んで認知症の世界(あるいは半分あの世)に足を突っ込んだ状態を自虐的に歌っているようにも思えて、好感を持てなくもない。

「老ふたり互に空気となり合ひて有るには忘れ無きを思わず」

 

『近代秀歌』 永田和宏 2013

以前、同じ著者の『現代秀歌』を別の読書会で取り上げて報告したことがあるが、同じ岩波新書のこの本が、今度は詩歌を読む読書会の課題図書となった。

日本人ならせめてこれくらいの歌を知っておいてほしいぎりぎりの百首を選んだと著者が豪語しているとおり、耳になじみのある歌も多く、良いと素直に思える歌が大半で、納得の選という感じだった。

『現代短歌』の方はどう読んでいいか迷うような歌も交っていたので、これが読み継がれて評価が定まったということなのだろう。著者の解説の分量も多く、実作者ならではの懇切丁寧な説明があって勉強になった。

読書会ではいつものように参加者が選んだ三首を順番に全員で検討していくのだが、今回は三首に絞るのが難しかった。僕の選んだ歌と、その選出のポイント(当日報告用のネタ)をメモしてみよう。

垂乳根(たらちね)の母が釣りたる青蚊帳をすがしいねつたるみたれども 長塚節

解説にある「写生」の考え方が興味をひいた。著者はそれを、対象のある一点だけ残してあとは捨て去る作業だという。この歌だと、蚊帳のたるみがその一点だ。長塚が最晩年、僕の勤務先近くの病院にいたというエピソードも話す。

「のど赤き玄鳥(つばくらめ)二つ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり 斎藤茂吉

一方この歌は、意図的でなく一点が残されていて長塚の歌との対照が面白い。人間は途方もない衝撃を受けるとその文脈とまったく関係のない細部(燕の赤い喉)に注目してしまうという著者解説も納得。僕はビアスの小説「アウルクリーク橋の一事件」を例にとって、この考え方に基づく描写の迫真性が、読者を欺くのに利用されていると話した。

「向日葵(ひまわり)は金の油を身にあびてゆらりと高し日のちひささよ 前田夕暮」※アンダーラインは傍点

僕にとって初見の歌を一首選んだ。伸びきった向日葵の花弁が重く不安定な様が目に見えるようだ。解説でゴッホの向日葵との関連を指摘しているのは不可解(参加者も同意見)。向日葵といえば油がとれるし、ゆらゆらした不安定感はゴッホにはない。

 

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M先生の格闘

今年も、アメリカから来日して浄土真宗の大学で研究をし日本で研究者になったM先生の話を聞いた。三コマの講義に質疑応答をあわせて4時間にわたる講座だ。外部からの参加者は優遇されるとかで今年は先生の目の前の席だった。すごい話を聞いてしまったという印象だ。(ただ例によって、手元に資料のない状態で書くので、細部ではかなりいい加減な話となる)

先生の日本語がきわめて流暢で、仏典の知識や解釈も日本の学者とまったくそん色がない。だから、聞き手は日本人同士と同じような感覚で講義を聞いているのだろう。質疑応答の時も、先生の前で自分の疑問点をより明確にして問いかけようという緊張感は感じられなかった。会の代表の方も、悪気はないのだろうが、「先生にしかできないことをしてください」と後進に対する励ましのような謝辞の言葉をかけていた。

とんでもない話である。僕らは、母語による強い後ろ盾と、日本のあいまいな宗教的風土にどっぷりつかって仏教を語っている。語らされている。親鸞は日本人のだれもが尊敬するような宗教家だし、浄土真宗のお寺は全国津々浦々で甍をそびやかしている。

そんな安全地帯の中で語られる言葉と語りに基づく姿勢には、残念ながら何の魅力もない。それが証拠に、きわめて真摯なこの聞法道場ですら新たに若い人たちを引きつけるだけの魅力や輝きをもってはいないのだ。

一方、先生は、母語による後ろ盾と、自分が生まれ育った文化的風土の支援が全くない所で、孤立無援の状態で、純粋な精神と化して、仏教という論理と向き合っている。語られている語彙は、日本人の学者や信仰者と同じだが、その背後にうかがえる精神のドラマはまるで異質で別物だ。

僕の乏しい仏教的な教養は、清沢満之の読書で得たものだが、先生の話には、清沢満之と同質の精神の高みを感じることができる。以前から羽田先生に話に清沢に近いものを感じていたが、アメリカで長く布教を続ける羽田先生にも「生命のすばらしさ」を語るような余裕がある。

とくにM先生の昨年の話は悲壮なものだった。数年越しの重苦しい離婚劇と最愛のお姉さんの重病がかさなる。日本に渡ってきた経緯と宗派や大学の現状に対する絶望が語られる。M先生は、それを信仰においてぎりぎりしのぐわけだが、その時、南無阿弥陀仏でも阿弥陀如来の本願でなく、「無量寿、無量光の因果」という論理を語ったのが、僕には清沢を連想させた。今の自分をめぐる状況は全宇宙の営みの結果である。無限の全宇宙からの「お育て」として受け止める。無限と一体であることが救いとなる。

清沢満之は『宗教哲学骸骨』で、宗教の本質を「有限」である私が「無限」に包摂されている関係を了解することだ、ということを述べている。阿弥陀の本願や南無阿弥陀仏は、そこに至るストーリーであり象徴であり方便であることを理屈として教えてくれる人はいても、実際の生の現場で、口当たりのいい象徴ではなく、その根底にあるロジックと向き合う人はまずいない。

日本人なら、南無阿弥陀仏の語感やふるまいによって呼び覚まされる暖かいもので救われるところ、M先生は、有限無限の厳しいロジックに直に向き合う。

ところが、今年の講義では、M先生の表情が少し穏やかだった。講義の後半に入って、先生は昨年の講義の直後にお姉さんの最期をみとったこと。この一年で再婚を果たし、二週間前に新居を決めたことを話してくれる。ただ、予想外の事態はすぐにでも先生を襲うだろう。当然ながら昨年ほど切迫した感じではなかったが、無量寿(無限)による「お育て」の話を先生は繰り返した。

私生活上の出来事を単なるエピソードではなく、教義を読み解くことと地続きであるように精神を傾けて語るM先生に、ほんとうの信仰者の姿を見た思いだった。二年間にわたって、すごい話を聞いてしまったという思いはそういうことだ。しかし、僕は先生の話を聞きながら別の事も考えた。

有限無限の厳しいロジックを精神において受け止めることができるのは、やはり一握りの稀な人々ではないか。無限の宇宙と向き合って、その無限の因果を我が身体と生命で受けとめて、それを「お育て」として生きること。震えるような緊張感あふれるM先生の言葉と姿を目の当たりにして、それがいかに困難なことかを実感できたような気がした。

一方、家族の病の回復を願うことや、結婚生活の幸せを願うことが、自己中心性から発する煩悩であるとして、仏教の論理でバッサリ切り落としてしまうことが本当に正しいのか、という思いもある。我々の生の現場に根差した、良いことに向けての願いというものは、ほんとうにそんなに底の浅いものなのか。どうせ思い通りにはならないという斜に構えた達観が、本当に素朴な願いを生きるよりすぐれた態度だといえるのか。

たとえば、金光教では、天地金乃神という「無限」(これは人間の尺度からすると恵みでもあれが災厄でもある)へと、人間の「願い」を取り次ぐ金光大神という媒介者の存在が信仰の核心となる。

金光大神自身が、悩みを抱えた人と一対一で対面し、その願いを神に届けることに生涯をささげた人だ。この伝統は、現在も引き継がれ、現在の教団トップの「金光様」も、一年365日毎日教会に出て、朝から晩まで参拝者の区別なく、その悩みを聞き届けて、天地金乃神にその願いを届けている。

信者たちは、ともに願ってくれているという金光大神のふるまい(これには以上のような現実的な裏付けがある)を信じているから、安心して自らの願いをまっすぐに祈ることができる。そしてこのワンステップをはさむからこそ、人生上の様々な苦難を、いわば「おかげ」(無量寿のお育て)として受け止めることができるのだ。

 

 

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『飛ぶ男』 安部公房 1994 

安部公房(1924‐1993)の没後、フロッピーディスクに遺されていた作品で、生誕100年に合わせて、データに忠実な形で文庫化したものらしい。

『他人の顔』の文庫本解説で大江健三郎が、安部は短編の名手だが、長編になるとバランスの悪いものを書きがちであると書いていて、なるほどと思った。

安部の初期の短編は、若い頃に読んでとても面白いと思っていた。中編も問題なく読ませる。しかし長編になるととたんに読みにくくなって、とくに出だしでつまずくことが多い。『方舟さくら丸』でさえそうだった。ストーリーが遅々として進まず、独白がやたらに長いのだ。独特の比喩を交えた文体は、平明に見えて読み飛ばすことが難しい。ネットで安部の小説は読み終えたことがないと書く人を見つけて、なるほど読みにくいのは僕だけではないのだと納得する。

「飛ぶ男」は未完成の原稿で、文庫本で130ページくらいの中編だが、思ったよりずっと読みやすく面白かった。

飛ぶ男の登場と、窓から侵入されるアパートの住人と、飛ぶ男を空気銃で撃ってしまう隣室の女。情景が鮮やかに目に浮かぶようで、一幕物の舞台になりそうな魅力的な設定だ。本職が手品師である飛ぶ男は、男の能力で一儲けしようとする父親から逃げ出してアパートの兄を訪ねたのだという。この兄も、隣室の女も一癖も二癖もありそうでキャラが立っている。お互いに男女の関係を意識する展開も興味をそそる。

これは完成させてほしかったと思う。独白や理屈や細部の知識の書き込みが増えたとしても、大本にこの設定とストーリー展開の謎があるなら大丈夫だろう。

50頁ばかりの「さまざまな父」という未完成原稿も収められているが、こちらは、「飛ぶ男」の前日譚ともいうべき内容で、透明人間になった父親と後に飛ぶ男になる息子との関係が描かれている。さほど魅力的なエピソードとは思えないが、長編の一部に組み込まれるくらいならいいだろう。

3月7日は安部の生誕百年の記念日だ。今年中には、短編も含めて文庫化されたものくらいは読み切りたい。