大井川通信

大井川あたりの事ども

なんもかんもたいへん、いらっしゃい

若いころ住んでいたアパートの近くに、黄金(こがね)市場という商店街がある。アーケードのかかったメインの商店街の周囲にお店が集まり、隣接する古い木造の建物の中の路地にも商店が連なっている。

この路地の方の一角。シャッターを半分だけ開けて、間口の地べたに野菜の入ったザルを並べて、自分も座り込んだおじいさんが、さかんに早口の口上を繰り返している。

「なんもかんもたいへん、いらっしゃい。なんもかんもやりっぱなし、いらっしゃい。イオンは高いよ。びっくりするよ。今見てきたけどな。なんもかんもたいへん、いらっしゃい」

リズミカルで小気味よく繰り返される「なんもかんもたいへん⤴いらっしゃい⤵」という言葉の合間に、近所の大手スーパーへの軽いディスり(揶揄)を混ぜている。路地の目の前の店も野菜を扱っているし、商店街にも八百屋は何軒もあって、本当のライバルはそちらなのだろうが、共通の敵イオンを話題にする方が支障がないのだろう。

不思議なことに、この地べたのわずかな野菜が、店主の口上の効果もあってか、よく売れるのだ。シャッターの下からみえる店舗内は、ゴミ屋敷のように段ボールが積み重なっている。シャッターにはうっすら屋号が読み取れるので、おじいさんにこれがお店の名前ですかと尋ねると、オレに屋号はないよと答える。おそらく閉店したお店の店先を借りて商売しているのだろう。地べたで商売しているのは、正式に借りているわけではないためかもしれない。

今は、この手の古い商店街や木造市場は元気がなくなっている。しかし、久しぶりに訪れた黄金市場は、たしかに路地には空き店舗が目立つし、商店街にも多少シャッターの閉まった店があるが、人通りは多く、商売に活気がある。猥雑でちょっといかがわしい雰囲気も健在だ。

僕は東京郊外の住宅街出身なので、こうした商店街や市場を身近に育ったわけではないが、記憶をたどると、国立デパート(という名前の商店街)とか、富士見台団地のパールセンターとか、市場に似た雰囲気の場所はあったので、どこか懐かしい。

この街が実家を出てはじめての一人暮らしだった。母が何度か暮らしの面倒を見に来てくれたのだが、黄金市場で買い物をしたと聞いた記憶がある。母もこの口上を聞いたのだろうか。