大井川通信

大井川あたりの事ども

語り部として

年末のファミレスで、友人と4時間ばかり議論をする。経験やフィールドは違っているけれども、なぜか問題意識や感覚がそっくりな友人なので、ずいぶんと頭の中が整理できた。

僕はある旧村の里山に開発された団地に転居してきた。土地とのかかわりは偶然だったけれども、この土地に起居しているという事実は、僕にとって動かし難い事実である。旧村の周りを歩き、自然を観察し、人々と知り合い、歴史を調べ、想像をふくらませる。

いまさら土地にどっぷりつかって、この土地の人間のふりをすることはできないが、土地の様々な細部や痕跡に触れて、今ここの場所から目をこらし、耳をすますことはできるだろう。遊歩者あるいは観察者として。

そうして、この土地にかつて起きた出来事について、もう僕だけしか知らないことも増えてきた。聞き書きのできたお年寄りで亡くなられた方も多い。今この土地に起きている出来事について、おそらく僕にしか気づけないこともあるような気がする。

大げさにいえば、僕が口を閉ざしたら消えてしまう何かがあるのかもしれない。だから僕は、「ヒラトモ様」について、「大井始まった山伏」について、「大井炭鉱」について、語らないといけない。それを見聞きしたものとして、いわば語り部としての責任があるのだ。

しかし砂粒のように無限で味気ない事実をすくい取り、それに多少整理を加えたくらいでは、語り部として務めは果たせないだろう。かつての語り部たちの流儀にならい、虚構やフィクションを大胆に交えて、次の世代に届くような訴求力を持たせないといけない。幸い僕の前には、すでに不可思議な物語たちがうごめいている。

この小さな土地に根差した物語群、神話群を作り出すという野望は、まだ手を付け始めたばかりだ。来年こそ、ある程度の成果と方向を示したい。

 

 

新年の抱負

数年前、地域の自治会長を引き受けてしまったときのことだ。自治会長は毎月、役員さんたちと各組の組長さんたちを集めて、公民館で会議を開く。その前年、組長としてその会議に参加して、一言の発言の機会もなく、役員さんたちのだらだらと続く議論を聞くのがけっこう苦痛だったので、二つのことを心掛けるようにした。

一つは、会議の終了時刻を、あらかじめ短時間に決めて宣言しておくこと。30分とか1時間というふうに。もう一つは、毎回全員に口を開いてもらうこと。会議のはじめに、「最近うれしかったこと」などのお題で順番に気楽に話してもらうようにしたのだ。自分の仕事や趣味のことや、家族の事。それぞれの人となりがわかって、すいぶんなごやかな雰囲気になったと思う。

いろんな立場や年齢の人が参加していたと思うが、発言を嫌がったり、遠慮したりする感じはまったくなかった。その時に、誰もが、話したい、聞いてもらいことをもっているのだな、と実感できた。

仕事の最終日。職場の今年最後のミーティングで、僕は、しめくくりに職場の全員の人に、来年の抱負を順番でスピーチしてもらった。普通なら、長と呼ばれる人の堅苦しいあいさつで終わってしまいがちのところだ。思いがけない発言が飛び出したりして、みんなの間で暗黙のコミュニケーションが交わされていたことだろう。

 

森で招く赤い人影の恐怖

毎日、通勤の車で森の中の道を走っている。道の両側の草が刈られたので、森の中が見とおせるようになった。暗い森では、雑草も茂らないのだ。

12月も半ばを過ぎて、森の中のあちこちに赤い人影のようなものが立ちすくんでいるのに気づいた。暗い森の中で、光が差し込んだ場所では、それは驚くほど鮮やかな赤だ。おそらくハゼだろう。

人の背丈ほどの高さで、紅葉した葉をぎっしり身にまとっている姿は、派手な衣装を着た人間が背伸びをしたり、身をかがめたり、しゃがみこんだりしている様子に見える。風が吹くと、いっせいにおいでおいでと手招きするようだ。

諸星大二郎の漫画の中に、「人似草」という人間そっくりの植物に狂わされた男の物語があった。人似草はおそらく諸星の創作だろう。埋められた死体から生えた植物が、死人そっくりの姿になるという話だったと思う。

ハゼの赤は、少し季節を外れた紅葉にすぎないのだろうけれども、森の中で何かの生き血を吸っているように不気味に見えた。

 

フェルメールの部屋

いつの間にか、フェルメール(1632-1675)が大人気で、展覧会のチケットに日時指定があるのには驚いた。10年前に、やはり上野でフェルメールの作品を集めた展覧会があったときも、ここまでではなかった気がする。

僕がフェルメールの名前を知ったのは、浅田彰がさっそうと論壇にデビューしてまもなく出版した『ヘルメスの音楽』(1985)という芸術論のエッセイ集でだった。フェルメールの他、デルボーやベーコンなど、当時全く聞いたことのない画家の作品をあきれるほど自在に論じる文章に、この若き俊英にはまったく敵わないと思った記憶がある。

今回の展覧会を評判につられて観覧したのだが、やはり良かった。今回は様式の変遷を解説した小林頼子著『フェルメール』の文庫版をあわせて読んだので、いっそう理解が進んだ気がする。この本を参考にして、フェルメール作品の各時代の特徴を、「光」と「事物」の関係から取り出すと、おおざっぱにこんなふうになるだろう。

〈50年代〉は、光が実体化されて、事物の上で凝集した光の粒が遊ぶ。〈60年代〉は、柔和な光が事物を包み、なじみあう。〈70年代〉では、生硬な光によって陰影表現がくっきりと単純化される。

今回の出品作でいうと、「牛乳を注ぐ女」は〈50年代〉の圧倒的な傑作。「真珠の首飾りの女」を含むぼやっと柔らかな色調の〈60年代〉の作品が数作あり、〈70年代〉の「手紙を書く婦人と召使」が、端正だが冷たい印象で異彩を放っていた。小林さんは後世の模作ではないかと疑うが、とても小さな「赤い帽子の女」での大胆な光の描法には目を奪われた。

フェルメールが17世紀の人だということにあらためて驚く。作品は、歴史や社会的文脈から切り離されて、無時間的に独立して存在しているかのように見える。描法や様式の進化すらも自立的で論理的だ。フェルメールの小ぶりで数少ない絵にひきこまれる人が多いのもうなずける気がした。

 

 

『キッチン』その後

『キッチン』の読書会のあと、「真顔でケンカをうっているみたいだった」と言う人がいた。この作品が好きで課題図書に押した人の意見を全否定しているみたいに取られたのだろう。自分としては根拠を示して批判したつもりだが、反省してみれば、そういう発想自体、いつのまにか評論を読む読書会のスタイルに毒されていたのだった。

小説の読書会なんだから、今までそうしてきたように、自分の感性に基づいて、前向きに面白い読みを作っていかないといけない。どうしてダメなのか、という問いではいけなかったのだ。

ただ、なぜ人物やストーリーに厚みがなく、ばらばらの場面の寄せ集めのような小説が評価されたのか、それだけはやはり気になる。僕の文学の師匠である安部さんに尋ねると、あの時代にはそれが新しいと思えたのだし、彼女のような新人が待望されていたのだ、と。また、極端で目新しい設定が、外国で評価された原因ではないか。

なるほど。しかし、最後に残った疑問は、読書会に参加する小説好きの人たちが、この小説の世界に抵抗なく入っていける、という事実である。僕より年配の参加者には抵抗感が伺えたし、若い人の中にも批判的だったり一定の留保をつける人もいた。しかし、全体からすると少数派だったのだ。

おそらく、極端な初期設定を無理なく受け入れ、断片化された部分を想像力で自由につないで読む、という新しい読解の作法が、一般的になってきているのではないだろうか。だとしたら、小説を読みつけない旧時代人の僕が、かつての読解法にしがみついて受けつけなかったのも、やむなしか。

 

 

 

ムンクの黄色い丸太

仕事が終わってから、金曜の午後の上野公園にいく。フェルメール展の入場予約時間にまでしばらくあるので、東京都美術館ムンク展をのぞいてみることに。

ムンクは、西洋美術館で大きな展覧会を観た記憶があたらしい。その時は、ムンクの絵が塗り残しがあるくらい、あっさり描かれているのが意外だった。それでやや印象が薄かった。今回は、その先入観のために、変な期待を持たずに作品に触れることができた。すると、やはりとても良かった。

ムンク「叫び」を知ったのは、いつだったろうか。精神病理学者が人間の精神について書いた著書の中だった気がする。人間の不安の心理の典型が描かれていると。なるほど、ムンクは孤独や不安など人間精神の根底を、見事に図像化している。画集などで見覚えのある大作やシリーズものを観ながら、あらためてそう感じた。

その中で、一枚の風景画が妙に印象に残った。人気のない森のなかに、一本の丸太が、こちら側に丸い切り口を見せて、斜めに置かれている。日が当たっているわけではないのに、丸太は黄色に染まっている。

何かの象徴というわけではない。しかし、どこか淋しい森に横たわる黄色の丸太の姿がしばらく心を離れなかった。

 

 

 

 

 

 

詩集『錦繡植物園』 中島真悠子 2013

5年ばかり前、新聞の夕刊に彼女の詩が載っていた。新聞で詩を読む機会はめったにないのだが、そのときは読んでとても気に入った。それで、大きな書店まで彼女の詩集を買いに行った。

詩集は、気楽に読み通したりできない。買ったばかりで何篇かめくってみた時には、新聞で読んだ「断章」という詩に匹敵する詩は少ないような気がしていた。

風に揺られて/あのひとの腕が手招きをする/と 昨日と明日の果てない距離を/振り子の太陽が渡っていく/私を誤読させるため/開かれた頁のような私の庭は/瞬間 黄金に輝き/静かに閉じられていく (「断章」終末部)

その後も気になって時々頁をめくっていた。今回、この夏以来の採点法で読んでみると、20篇中、〇が5編、△が11篇で、驚異の8割の最高打率である。詩人の世界に浸ってみると、「断章」が特別に抜け出した作品ではないことにようやく気づく。

家族、庭、植物、星、穴、土、命等がキーワードとなって濃密に繰り広げられる詩世界と、僕はどうも肌合いがあうようだ。今回は、いままで全くのノーマークだった「秘密」という作品に鷲づかみにされた。

先日、詩人高野吾朗さんの朗読会に参加して気づいたことだが、現代詩といえども、どうしても表現しないではすまされない何か、という愚直なものが根底にないと、読む者の心には響かないだろう。作者の詩には、それが確かにあると感じられた。


にゃんにゃんの日

壁塗りの職人さんから、イヤホン越しに呼び出される。仕事の話かと思ったら、家の前の側溝の中から猫の鳴き声が聞こえるという。住宅街の側溝は、コンクリートで蓋をされており、ところどころ鉄柵がはめてある。鉄柵のはずし方がわかれば、助けたいとのことだった。しかし、きつく固定されてびくともしない。市役所に連絡すれば対応してくれるはずと職人さんはいう。

職人さんが心優しいのに感心したが、正直やっかいなことを言い出したと思って、壁塗りの工事に話題を変える。しばらく話しても猫の声は止まないので、妻に相談してみると言って家に戻る。猫好きの妻と次男が家を出て側溝の鉄柵に近づいたときには、もう猫の鳴き声は聞こえずに、家の裏手の駐車場のところをトボトボとあるく子猫の姿が目に入った。妻が追いかけて、抱きかかえて戻ってくる。

子猫は左のまぶたをはらしていたので、すぐに近所の動物病院に連れて行った。目薬をもらったが、他にはどこもケガはなく、健康のようだった。獣医さんは、生後2か月で、先祖にチンチラの血が入っている雑種だという。立派な猫になりますよ、とのこと。

風呂場で洗うと、すっきりとして可愛いい猫だ。おそらくいったんは人に飼われていたのか、とても人懐こい。妻は子どもの頃、実家で何匹もの猫を飼っていて、いつかは猫を飼いたいと話していた。それで、思い切ってこの子猫の世話をすることに決めた。量販店に行って、猫のエサやトイレ、ゲージなどを買い込む。子猫の飼い方の本も。

しかし不思議なことがあるものだ。側溝への入り口は近くにはまったく見当たらない。出入りはいったいどうしたのだろうか。偶然に側溝の内外に二匹の猫がいたというのも出来すぎている。初めからどこかに隠れていた猫の鳴き声を、側溝の中からと聞き間違えたというのが残された可能性だが、職人さんと鉄柵の下からの鳴き声に耳をすました者としては、ちょっと信じがたい。飼い猫だったのは間違いないが、眼の病気などをみると大切に飼われていたのだろうか。近所で迷い猫が探している様子もない。

いずれにしろ、12月22日、つまりにゃんにゃんの日に、我が家に新しい家族がやって来たのだ。

 

追記:次の作業日、もう一度「現場」を見ると、側溝の鉄柵のすぐ脇に、職人さんのワンボックスカーが停めてある。おそらく、車体の下に隠れていた子猫の鳴き声が反響して側溝の中からのように聞こえたのだろう。家の前の道の先には広めの公園もある。街道から奥まったところにある住宅街だから、真中の公園に置き去りにすれば、安全に誰かに拾ってもらえると考えたのかもしれない。

 

 

古本市の大井川書店店主

津屋崎の旧玉乃井旅館でのトロ箱古本市に、昨年に引き続き出品する。津屋崎の漁港では、魚を入れるトロ箱が並んでいる。「一箱古本市」をもじった命名だ。

今回は勤務で会場には行けないので、文字通り小さなビニールケース一箱だけの参加となった。今回は、単行本のみで一律500円の価格とする。古本市の出品では一日の長がある息子の、ある程度の価格をつけた本の方が売れる、というアドバイスが耳に残っていたからだ。実際、遠慮して100円、200円の値段をつけた前回よりも、売り上げは多くなった。その値段に見合うように、店側も無意識にいい本を選んで出品した効果もあったのかもしれない。

玉乃井主人の安部さんによると、真っ先に売れたのが、東洋文庫の『思想と風俗』戸坂潤評論集、定価は3240円、全く読んでいなかったので新品同様だった。年配の紳士に買っていただいたそうだ。

この戦前の高名なマルクス主義哲学者の本を僕が購入していたのは、学生時代に好きだった劇作家・評論家の菅孝行が評価していたせいだろう。最近、その菅孝行が、久しぶりの著書を、新書の三島由紀夫論で出版したのには、驚いた。ずいぶん思想的には離れてしまった気がするが、学生時代の義理を果たすために、読み通すつもりだ。

今回のお店では、僕の代わりに、おもちゃのカエルに「大井川書店店主」の名札を貼って、店番をさせた。腕の先に硬貨をのせて跳ね飛ばすと、大きな口でキャッチして胴体に取り込むという貯金箱だ。仕掛けを試したくて本が売れる、という狙いだった。こちらは当てが外れて、小さな店主が得意げに口を開く機会はなかったようだ。

 

 

 

『キッチン』 吉本ばなな 1987

読書会の課題図書。近来稀な不思議な読書体験だった。
微妙に違う方向を向いたセリフやふるまいが並ぶため、イメージがハレーションを起こし、どの登場人物も生きた人間としてリアルな像を結ばない。たとえば、祖母の死という決定的な出来事の受け取り方でも、次のAとBのように、ニュアンスの違う表現が無雑作に出現する。 A「先日、なんと祖母が死んでしまった。びっくりした・・・まるでSFだ。宇宙の闇だ」 B「私は、いつもいつでも『おばあちゃんが死ぬのが』こわかった」

 ストーリーにも厚みが感じられず、ほとんど頭に残らなかった。言葉や描写の新鮮さや巧みさでカバーしているが、ふつうの意味で小説として成立してないような気さえする。
無理やりな初期設定(愛する者にすべて死なれて、容易に他者と交われない人間同志)に、各場面では当たり前の人間に見える登場人物たちが困惑し、引きずり回されているような印象。ストーリーの展開の必然性がもたらす死ではなくて、初期設定を満たすためだけの物語の冒頭の死というのも、ちょっとどうだろうと思う。

吉本ばななをきちんと読んだのは、今回が初めてだ。だいぶ以前の作品だが、ほぼ同世代の作家の作品として、あの80年代後半の表現として、こんなものかとガッカリした。ちょっと落ちこんだ。

ふと気になって、やはり同世代の漫画家岡崎京子の手元の作品(『ジオラマボーイ★パノラマガール』1989と『リバーズ・エッジ』1994)を手に取る。物語とキャラクターの存在感とヒリヒリするくらいシャープな表現。『キッチン』にないものが、そこに変わらずにあって、安心する。