大井川通信

大井川あたりの事ども

人はなぜ歩くのか

車の運転中、JRをまたぐ陸橋の車道の上からながめる景色に違和感をもった。陸橋の上からは、タグマの古い町並みが見渡せる。迷路のように入り組んでいるが、昔栄えた町らしく大きなお屋敷が並び、神社や小学校や造り酒屋があったりする。

その造り酒屋のレンガの煙突がランドマークになっているのだが、その煙突が見えなかったのだ。何かの間違いかと思って、次に通ったときも車の窓から探すのだが、やはりない。もういやな予感しかなかった。

おそらく取り壊されてしまったのだろう。しかし、車で確かめに行こうとは思わなかった。迷路のような路地に車が入れにくい、ということもあるがそれだけではない。

町が変わっていくのは仕方がない。タグマではかつての木造の町役場だった建物が取り壊されて、細長い高層のマンションが建設中だ。ただお気に入りのレンガ煙突の運命といった重大な案件については、「大井川歩き」の原則通り、威儀を正し自宅からしっかり歩いて訪ねて、立ち合いたかったのだ。

それからしばらくたった日曜の早朝、僕はタグマの酒屋を目指して歩き、この原則にのっとるという判断がいかに正しいかをあらためて実感することになった。

まず歩きながら、一歩一歩目的の造り酒屋について思いをはせる。ほぼ絶望しているものの、何かの間違いであってほしい、そのまま残っていてほしい、という思いも強くなる。近くなるにつれて、心臓の鼓動が高くなる。

そして、造り酒屋の現状と対面して、息を飲む。言葉を失う。立ちすくんでしまう。煙突の有無というのは情報に過ぎない。それの確認だけなら、自動車で通り過ぎるだけでいい。しかしおそらく一世紀の寿命を持った建物の終末については、その場に立ち会い、その喪失の空間を体験し、その不在と全身で対話しないといけない。

このことの大切さについては、今までの経験上ある程度予想のつくことだった。しかしそこに意外な副産物があった。早朝、敷地の前でタバコを吸う人に声をかけると、それが造り酒屋のご主人で、経緯についていろいろお話しをうかがうことができたのだ。これこそ、歩かないと起こりえない出来事だ。