大井川通信

大井川あたりの事ども

酒造場跡の更地の前で

公園の前を曲ると、目の前に大きな空き地があった。どうやら酒造場が取り壊された跡の更地のようなのだが、一瞬土地鑑を失ってしまう。せいぜい老朽化したレンガ煙突を崩したくらいだろうと予想していたので、意外過ぎたのだ。

かなりボリュームのある建物で、手前は作業場の裏側らしく羽目板の高い壁(これは数年前金属板で全面補修していた)がつづき、正面玄関は角を回った先にあったのだ。それが更地になって手前から見渡せるので、こんなに近かったかとも思うし、ずいぶん狭いようにも思えてしまう。ランドマークがそっくりなくなると、まるっきり見知らぬ土地になってしまうのだ。

道の向かいに小さな商店があって、そこでタバコを吸っているだんなさんがいたので、ここは酒造場でしたよね、と声をかける。声をかけながら、この新しい小さな商店が酒屋だと気づいて、おそらく酒造場のご主人だろうと思ったが、実際その通りだった。

ご主人は、城島の造り酒屋で昭和19年に生まれて、小学校1年生の時にこの地に越してきたという。お父さんが大戦中に負傷したためというから、それが原因でこの酒屋を継ぐことになったのかもしれない。

以前訪れた時に、店内に入って奥さんから話を聞いてお酒を買ったことがある。もうこの店ではお酒を造っていなくて、本家の城島から取り寄せているという話で、宗像美人の銘柄をつけて売られていた。

つむじ風くらいで瓦が落ちてしまい、もう建物の維持は難しいとあきらめたそうだ。寂しいでしょうと聞くと、スッキリしました、小さい家がいいですよ、と笑顔を見せる。お客さんの要望もあるから店を閉めることはせずに、道の向かいの作業場だった土地に店舗兼家を建てたという。この近辺も古い家が取り壊されているが、子どもたちの姿が増えたことが嬉しいと話してくれた。

内心はきっと複雑な思いなのにちがいない。僕は気になって見に来たといったが、古い建物の管理が大変だったことは想像がつくので、残念だなどとは言わずに、今までこの景色を楽しませてもらったことの感謝を伝えた。実際、「稲乃寿」と書かれたレンガ煙突の風情はとても好きだったので。

勉強会仲間の吉田さんが仮寓する豊村酒造の話をすると、話題は近隣の酒蔵のことに。豊村は、宗像の伊豆や勝屋と親戚関係にあたり、かつて宗像にあって県内でも有数の歴史がある最高峰という銘柄の酒屋からお嫁入したこともあるという。

町の大切な景観をつくっていた酒造場だが、観光地でもないし、路地の奥の目立たない立地だったこともあって、保存の話など全くなかったのだろう。僕も大井川歩きなどをしなければ、近場でも知ることのなかった施設だ。僕なりの仕方で記憶にとどめたいと思う。

 

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