大井川通信

大井川あたりの事ども

行橋詣で(2024年8月)

午前中は、まずモノレールで黄金(こがね)市場に向かう。26日が松邑さんの命日だから、おじさんがいつも座っていた木造市場の路地にお参りしようとするが、様子が違う。アーケードのあるメインストリートはいつも通りだが、路地の入口にはロープが張ってある。ロープをまたいで侵入すると、すべての店舗がシャッターを下ろして路地は真っ暗だ。大通りからの入り口にはネットが張られ完全に侵入禁止になっている。

いよいよこの木造市場の区画が取り壊されるのだろう。北九州ではここのところ密集した市場の火災が続いている。そんなことも影響があるのだろうか。おじさんが元気でも商売を続けることはできなかっただろう。

僕は、真っ暗な路地で手を合わせてから、いつもおじさんが座っていた場所に腰を下ろし、おじさんの目線で路地を見まわしながら、おじさんの口上のマネをしてみる。「なんもかんもたいへーん、いらっしゃい!」

いくら大声を出してももう聞きとがめる人はいないのだ。最後にこの場所でおじさんを偲ぶことができてよかったと思う。少し離れた娘さんと奥さんの花屋さんに寄って、一家が愛用しているという宗像のお醤油をお渡しする。娘さんが追いかけて来て、卵をふた包み持たせてくれた。

それから歩いて片野に回る。連続殺人事件のあった小さな雑居ビルと、40年前に僕が初めて一人暮らしを始めたアパートに手を合わせる。どれも僕には大切な場所だ。おそらく戦後で一番酷い事件の起きた現場に縁があったことは、人間の残忍さ、愚かさ、悲しさに底がないことを忘れるなという僕へのメッセージなのだろう。

午後には、行橋に。まずは、昨年の8月に入門をお願いしてから、一年間お世話になったことを感謝して、今後についてのお願いをする。

午前中、三つの場所で手をあわせ、天地書付の言葉で祈ったことを先生にお話しする。僕がかろうじて祈りを取り戻したことが、この一年の成果だ。また「大井川ガイドブック(概要版)」をお渡しして、その執筆意図などをお話した。

佐藤弘夫の『日本人と神』を題材に、「聖性のコスモロジー」の歴史という観点からは、金光教(民衆宗教)のイキガミという発想が、そのメインストリームと評価されるべきということ、小沢浩氏の「現人神vs生き神」という近代理解と重なるものであること、などの感想を話す。井手先生もイキガミについてあらためて考えてみたいとおっしゃる。

先生は、来週には先代の金光様のお葬式においでになるという。僕は入門二年目の目標として金光様の広前に参拝したいという希望を口にする。