大井川通信

大井川あたりの事ども

なつかしさとは、友になりうる可能性への希望の感情である。

朝日新聞の一面コラム「折々のことば」が始まったのは2015年4月で、今年で10年目になるようだ。三年前に新聞をとるのは止めるまでは、毎日楽しみに読むほどではなかったが習慣で目を通して、なるほどと思える言葉は切り抜いたりしていた。はっとするような特別な言葉に出会ったこともある。

漠然と恩師の今村仁司先生の言葉が取り上げられたらいいなとずっと思っていたが、目にすることはできなかった。著者の鷲田清一とは共著や共編の仕事をしていて距離が近いからかえって選ばれにくいのか。

もっとも新聞を辞めたあとの3年間で登場しているかもしれない。ふと気づいてネットを検索すると、なんと2カ月前の6月17日のコラムで今村先生の言葉が紹介されていた。発見は全くの偶然のようだけれども、振り返ればそうでもない。

ごく最近、今村先生の本が文庫化されたのだ。1988年に出版された『仕事』が36年ぶりに講談社学術文庫の新刊となり、その解説を鷲田清一が書き下ろしている。「折々のことば」を検索したのは、おそらくそこからの連想だろう。

僕はさっそく市民図書館に出向いて、新聞のバックナンバーの束を探して、該当のコラムをカラーコピーした。言葉は表題の通りで、先生の著書『大菩薩峠を読む』からの引用だ。一読してわかりやすいものでもないし、キャッチ―さもないが、今村社会哲学の含蓄がくみ取れる重厚な言葉だ。さすが先生の盟友鷲田清一の(おそらくは満を持しての)選だけはある。

僕は百均で、写真を飾る小さな透明な額を買った。今村先生の言葉を載せたコラムを切り取ると、額に挟んで、自室の書棚に飾った。