大井川通信

大井川あたりの事ども

テンちゃんに再会する

僕は宗像市の非公式ゆるキャラであるテンちゃんの着ぐるみ制作のクラウドファンディングに参加したから、テンちゃんを一か所に派遣する権利を持っている。

以前に中の人である高崎さんが、鎮国寺でイベントをした際に、お年寄りからひどく喜ばれて拝む人までいたという話を聞いた。黄金(黄色)に輝く異形のテンちゃんは、そう言われてみればカミの化身といえなくもない。少なくともヒトではない。

それで以前から友人の経営するデイサービスに派遣したら喜ばれるのではないかと思っていたが、ふと思いついて高崎さんのお店に顔を出すことにした。しばらくご無沙汰していた二年くらいの間に、テンちゃんはますます活躍の場を広げ、高崎さんの忙しさもピークに達しているようだ。とてもゆっくり話せるような雰囲気ではない。

今では、宗像市ふるさと納税のキャラまで勤めているようだ。それでも、僕の方の派遣依頼の話をこころよく引き受けてくれた。しかし、収穫はそれだけではなかった。

久しぶりに高崎さんと立ち話をしながら、僕はあることを思いついたのだ。それは僕がまとめている「大井川ガイドブック」にかかわっている。

無精者の僕は、章のタイトルを立てて、それに今まで書いてきた大小の文章を並べたところで息切れしてしまった。しかし、そこで終わっては何にもならない。文章を精選して三分の一ほどの分量の概要版をつくり、親しい知人に読んでもらうところまで何とかこぎつけた。

この概要版に対して、ある友人からとても的確な感想をもらったのだが、それは全体の構成の矛盾を指摘するものだった。彼女が言うには、僕が大井川流域を歩きながら埋もれた小さな神々を見つけ出して、それを現在に活かすような活動としていることは評価できる。しかし最終章では、現代で神になろうとする身近な人物に対して辛辣な目を向けていて、首尾一貫していないというのだ。自分としては未来に向けての希望や可能性を語ったつもりだったのだが、実際にはそうなっていなかったのだ。

しかし、その可能性はこの10年間の地元のフィールドワークにおいて既に出会っているモノの中にあるはずだ。僕は現代社会の小さな神々というべきゆるキャラのテンちゃんのことをすっかり失念していたのだ。テンちゃんが生まれた背景についても、その活動の在り方についても僕は驚きと畏敬の念を抱いていたにもかかわらず。

これなら、最終章の内容を友人の批評に答える方向で修正し書き加えることができるだろう。そのためにも、今度のテンちゃんのプライベートなイベントには顔を出してその雄姿をしっかり見届けようという気持ちになった。