元日に北陸で大きな地震が発生したが、二日には羽田で旅客機の爆発事故が起きている。ニュースでは「火災」と速報されたが、映像を見ると滑走路で着陸した大型ジェット機が走りながら大きな火柱をあげている。
なんもかんも大変な世の中はつづいていくが、その中で年末にうれしいことがあった。黄金市場で交流のあった「なんもかんもたいへんのおじさん」のご遺族の方から、きれいな真っ白なシクラメンの鉢と、ダンボール箱いっぱいのミカンを送っていただいたのだ。
おじさんの娘さんは、おじさんが野菜を売っている市場の近くで花屋さんをやっている。昨年の初盆の時に、僕がいつもの宗像の醬油をもってお参りをしたので、そのお礼だったのだ。おじさんはミカンが好きだったので、ミカンを食べながらおじさんのことを思い出してくださいと書き添えられていた。
店を持たないで、市場の路地に座り込んで商いをしているおじさんの口上に耳をとめたのはほんの偶然だった。「なんもかんもたいへん、いらっしゃい!」というフレーズの合間に様々な時事ネタや身近な出来事を取り込む反射神経は、とても80歳を過ぎているとは思えないものだった。
その後市場に寄るたびに声をかける間柄になったが、コロナ禍でほとんど顔を見ることができなくなった数年後におじさんの訃報に接することになる。それで初盆にはお参りしようと心に決めていたのだ。娘さんには、おじさんの不在時にお土産をあずかってもらうことがあって面識があった。遠方からやって来る「ファン」として、おじさんにも御家族にも気にかけてもらっていたと思う。
僕は、おじさんの身の上話を聞いたことはあるが、なんで市場で店を持たずに狭い路地の道端に座って販売しているのか、その見事な口上はどうやって身に着けたのか、を聞くことはできなかった。
世間一般からは特別に評価される人生ではなかったのかもしれないが、自らの声と言葉を武器に、地べたで一皿100円の野菜を売って、なんもかんもたいへんな世の中と渡り合うおじさんの姿はとてもかっこよく、りりしかった。白いシクラメンみたいに気品があって、見事だった。甘いみかんをほおばりながら、そう思う。