市場の路地にすわりこんで商いをしているおじさんは、標記の口上を繰り返す。「コスモスから一万円もらっているので、私も黄金市場で宣伝しなきゃいけない」と冗談を交えながら。
半分開けられた店のシャッターの中は相変わらず段ボールが積み重なっており、座ったまま背後から取り出した野菜や果物を、手もとのザルに手早く並べては、売りさばいていく。路地をはさんで、当たり前の商売をしている八百屋より、売れ行きはよさそうだ。
黄金(こがね)町の隣の白銀(しらがね)町に、安売りが自慢のドラッグストアのコスモスが出店するので、市場が危ないと警鐘をならしているのだが、いつものように軽快でリズミカル、おどけたような調子だ。
「黄金市場がのうなったら(無くなったら)困る」と買い物のおばさん。「いっぺんには無くならん」とおじさん。話題はいつのまにか、数日前に亡くなったケーシー高峰のことに。「ケーシー高峰面白かった、話も一流、心臓癌で死んだってね」と、これもまるで新しい口上のように繰り返される。
「なんもかんもたいへん、いらっしゃい」という目当ての口上はなかなか出てこない。僕はおじさんの口上の実力をなめていたのだ。それはけっして常套句の繰り返しではない。当日のニュースをからめて、買い物客とやり取りしながら、自由自在に奏でられる即興演奏(インプロビゼーション)なのだ。
以前通りかかったときのおじさんの口上が忘れられないからまた聞きにきたというと、「うそやろ」と笑う。「なんもかんもたいへん、とか、大きな大ごとたいへんだ、とかはよく言うね」「口上はでたらめやもん、全部でたらめ、人間もでたらめ」
住所を聞かれたので答えると、そんな遠くからと驚き、僕の町にある醤油屋の名前を出して、うまいから30年来使っているという。年齢を聞くと、昭和9年(1934年)の11月生まれというから、84歳だ。ケーシー高峰といっしょ、天皇陛下の一つ下、と続ける。当意即妙の口上で鍛えられているためなのか、頭脳明晰で、会話に瞬発力がある。
せっかくなのでお願いして「なんもかんもたいへん、いらっしゃい」と言ってもらう。口上代で千円欲しいと冗談を言うので、一ザル200円という驚きの安さの蜜柑に500円を渡すと、リンゴとトマトをつけてくれた。次来るときには、地元の醤油屋の特製品でも手土産にもってこようと思う。