大井川通信

大井川あたりの事ども

不一致と定点(昔書いた演劇メモ➁)

前回の理屈を踏まえると、現代演劇のいくつかの特徴、というかうま味のあるポイントをあげることができる。

1.役者と役柄との不一致  同じ役者が複数の役柄を演じたり、あるいは同じ役柄を複数の役者が演じたりすること。または、役柄を離れた役者が、舞台上に存在し続けたりする。はじめから役者と役柄との間にスキマがあるから、これらのことが可能になる。岡田さんはどこかで、役者が舞台から「はける」のが嫌いだといっていたが、なるほど彼の芝居は、役者は始終舞台脇にすわっている。先日観たハイバイの芝居では、ある役者が一時的に演じていた役柄から本来の役柄に入れ替わるとき、役者の身体がチューブみたいに新しい空間を絞り出す瞬間があって、実に魅力的だった。

2.舞台と場面との不一致  簡略な舞台がそのままでいくつもの作品世界の場面に切り替わったり、あるいは同じ舞台上でいくつかの場面が同時に存在したりすること。

3.舞台と時間との不一致  作品世界内の時間は、さかのぼったり、ワープしたり、自然の時間の経過と違った流れ方をする。また同じ舞台上で、いくつかの違った時間が流れたりする。

4.舞台と客席との干渉  役者が客席に座ったり、そこを歩き回ったりするだけでなく、舞台上から観客に話しかけたりする。

5.つなげるモノ=定点  演劇の魅力が記号と意味との干渉であるならば、目前の舞台上で、人・場面・時間それぞれが大きく揺さぶられたり、ねじれたり、ゆがんだりすることになる。作品がある統一をもった世界として提示されるためには、最低限、その振幅を支える「定点」が必要になる。その定点は、意味と記号、虚構と現実との揺らぎをつなぎとめ、作品世界をとりまとめるカナメとしてそれ自身多義性を帯びて舞台上に存在し続け、物語はその定点に意識的・無意識的にかかわりつつ進行する。

※たとえば、ピーターブルックの『魔的』では無数の竹の列柱が、ハイバイの『ある女』では長椅子が、サンプルの『自慢の息子』では舞台をおおう布が、『冬の盆』ではやぐらが、それにあたる。それは必ずしも物である必要はなくて、柿食う客の『ゴーゴリ病棟』では、ダンスをする役者たちの身体のかたまりとうねりが、作品を取りまとめるリズムを生み出している。

 

 

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