大井川通信

大井川あたりの事ども

『神道入門』 井上順孝 2006  

出版当初に読んでだいぶ勉強になった平凡社新書の一冊。その後、汚すか何かで買いなおしておいたものを今回再読した。

神道入門などというと、ちょっとおどろおどろしいというか、イデオロギー的なバイアスのかかった内容を予想してしまう。ところが本書は、このタイトルを忘れてしまうようなクールで客観的で冷静な記述に終始している。

それは、著者も言うように、神道とは何かという本質論ではなくで、神道を総合的に理解しようという立場をとっているからだろう。神道は特定のイデオロギーである以前に、この国に生きる人々の生活や文化及びその歴史に結び付いて複雑かつ多様に影響を及ぼしている事象そのものであるのだ。

そのために、神道という現象を「見える神道」と「見えない神道」とに分けて、前者を神道伝達の「回路」(神社、教団)と「人々」(神職、学者、教祖)、そして伝達される「情報」(神、祭祀、教え)の三点から、歴史をさかのぼって幅広く検討する。

「見えない神道」については、伝統的な家や地域共同体だけではなく、近現代になって登場した学校、企業、マスメディアまで視野に収めている。

僕自身は、民衆宗教に関する関心からこの本を読んだのだが、そうすると、民衆宗教の記述がいくつかの章に分散してわかりにくいという弱点はあるが、それ以上に広い視点からの新鮮な知見に触れることが可能になっている。

たとえば、神道を伝える「人々」の章では、神社神道における重要な神職は、仏教と同じく圧倒的に男性優位だが、神道系の新宗教団体では、女性の比率が大きいという指摘がある。女性が教祖である天理教が女性が多いのはわかるが、金光教の教師の男女比も半々だそうだ。

また「見えない神道」の章の世俗の信仰の記述からは、江戸時代には方角の吉凶として、その年に金神(こんじん)がいる方角が忌むべきものされ、艮(うしとら:北東)が常に鬼門とされたことが書かれている。これは、金光教大本教の立教の背景として必須の知識だろうが、一般的な神道入門書では触れられることはないだろう。