大井川通信

大井川あたりの事ども

『葉山嘉樹短編集』 道籏泰三編 2021

北部九州出身の小説家として、人から薦められて手に取った本。葉山嘉樹(1894-1945)がプロレタリア文学の作家だという文学史の知識はあったが、読むのは初めてだった。

新しい編集の岩波文庫で、12編の短編を収録してやや厚めとはいえ、読了まで一か月以上かかってしまった。スラスラ読めるようなものではないが、つまらなかったわけではない。重厚で含蓄のある作品がならんでいる。

僕の乏しい文学知識を無理やり動員すると、正面からグロテスクなものと向き合う姿勢は江戸川乱歩を思わせるし、実験的で割り切った書きぶりは、横光利一の短編にも通じる。乾いたユーモアは戦後の安部公房シュールレアリズムにも響きあうし、その根底にある思弁の力は、安部の師匠の花田清輝の評論を連想させる。

たとえば、短編「裸の命」の中で、長野のダム工事現場で働く労働者が九州に残した家族(骨肉)を回想する言葉はこんなふうだ。

「その骨肉は、生命の問題に還元していえば、中西(病弱な登場人物:引用者注)と同じような頼りないのが、祖母と母との二個。半分壊れかけたのが父の一個。その他弟妹の、未完成なのが数個であった。ところが、これはまるで、歴史と闘争するようなものだった。封建的な家族制を賃銀奴隷として扶育する、という不可能事なのであった」

花田清輝の評論の一節といってもおかしくない切れ味である。

彼の小説では、むき出しの命(身体)に到達した言葉が、政治思想やイデオロギーを突き破るさまをあちこちで見届けることができる。