大井川通信

大井川あたりの事ども

私は地理が好きだった

馬はたのしい。競馬も面白そうだ。動画を見ているうちに、競馬好きだった寺山修司のことを思い出して、そのエッセイを読み返してみた。そうして、以前、熱心に寺山の本を読んでいた時期があったのを思い出した。

文庫本は何冊もあるので、パラパラめくってみると、やはりなかなかいい。年明けのベンヤミンレポートのために、同時代の日本の評論家を読み始めている。小林秀雄林達夫花田清輝等々。でもそのリストの中に、「評論家」のイメージがない寺山を漏らしていた。

体験の細部へのこだわりと、自在に飛躍する思考の妙は、文章家の資質としてかなりベンヤミンに近いのではないかと思う。ただし行動派の寺山は、地理と歴史を対比させたうえで、歴史嫌いを公言している。この点で、「歴史の救済」が終生のテーマだったベンヤミンとは真逆であるようにも見える。

ただし、寺山の嫌う歴史とは、背後から現在を支配して、一方向的にそれを決定するかのようなものだ。歴史は本来「帰れない」場所であり、もはや「手でさわる」ことができない。

一方寺山は、自分の地理的思想(「行く」思想)を、キャッチボールに例えており、終戦後、日本人がお互いの信頼を回復したのは焦土でのキャッチボールのおかげだったと書いている。

 

「夕暮れの倉庫のある路上での自動車修理工とタクシーの老運転手がキャッチボールをする場合を考えてみよう・・どんな素晴らしい会話でも、これほど凝縮したかたい手ごたえを味わうことはできなかったであろう。ボールが、老運転手の手をはなれてから修理工のグローヴにとどくまでの『一瞬の長い旅路』こそ、地理主義の理想である」(「私は地理が好きだった」)

 

ベンヤミンにとっての「歴史の救済」とは、このキャッチボールのようなものだったと思う。寺山も、自分の過去とのキャッチボールは厭わないどころか、それを脚色して自在に行った。だからこそ、歴史好きと歴史嫌いの二人の書くものに、よく似た匂いがするのだろう。