大井川通信

大井川あたりの事ども

近所を歩くということ

大井川歩きを自覚的に始めたころ残したメモがあるが、ベンヤミンの名前は出ていない。けれども、あえて名前をださなくとも、彼の考えや感覚は自分のみについてしまっているともいえるかもしれない。

過去のガレキの山の中から、過去の断片を拾い集めて救済するガレキの中を歩み抜く)というベンヤミンの方法の具体化、という視点で大井川歩きを考えてみよう。

めまぐるしく溢れかえる外の世界に付き従っていたのでは、目移りしてしまって、何かの破片をひろいあげたり、か弱い声に耳を傾けたりすることはできない。それには、この慌ただしい時間を止める必要があるが、そのために僕は、外の世界へのかかわりを、身体を尺度として限定することにした。

関わる世界の範囲を、自宅から歩いて帰る範囲にとどめたのだ。その範囲の外にどんなに魅力的なものがあっても、それを扱うことはできない。そして、関わりの方法は、歩く、話しかける、まねる、などである。語り合ったり、まねたりするのは、住民たちや自然の生き物や事物に対してだ。

こうして、ガレキの中から気になる破片や断片、廃墟と見つけ出し、その歴史や意味を調べたり、あの手この手で関わり続ける(写真、絵本、紙芝居、朗読、ツアー、参拝、献酒等)ことで、復活した廃墟(根源)の磁力を高め、その配置が新しい星座をなすのを目指している。