大井川通信

大井川あたりの事ども

『金光大神』 金光教本部教庁 2003

金光教の教祖金光大神(赤沢文治 1814-1883)の大部な伝記。近所の教会の教会長さんから5年ほど前にいただいたものだが、今回初めて読了した。

昨年末に、黒住教の経典を読んで教会に参拝したことがきっかけになった読書で、民衆宗教についての関心はずいぶん以前からあった。

さらに大井川歩きと称して地元を歩くようになると、集落の歴史が江戸時代と直結していることに気づくことになる。江戸末期の庶民の中から生まれて、日本の近代化とともに発展した民衆宗教は、地元を生きた人々の精神世界を理解するための手がかりとなると考えるようにもなった。

この伝記は、教祖の書いた手記等をもとにしているために、年ごとに詳細な記述があって、金光大神がどのような生活を送るなかで、神とのかかわりを持ち、それがどのように深まっていったのかがたどれるものとなっている。

まず気づくのが、金光大神の神が、きわめて身近で生活に密着した存在であることだ。神からの「知らせ」は、農作業のタイミングの指示だったり、家庭生活や村落の役職との付き合い方の指南だったりする。

宗教上の大きな決定だったり、大病からの回復という重大事だけではなく、日常生活の些事についての詳細かつ頻繁な神とのかかわりは、現代人には不思議に思えたり違和感をおぼえたりする部分ではあるが、ここには何か重要なメッセージがひそんでいるような気がする。

黒住教の神は、人々が信仰上の対象として一心に向き合う存在としては同じであっても、どこか遠くて大きな抽象的な原理のようなイメージがある。だからむしろ現代人には理解しやすい。本書のどこかにも書いてあったが、神官である黒住宗忠の開いた黒住教は「天」の一元論なのだ。

一方、金光教は「天と地」の宗教である。人間は、天と地の間に挟まれて、その恵みと災厄に翻弄されつつ生きることしかできない。この視点は、金光大神が農民出身であることに関係しているのはまちがいないだろう。

 

 

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