以前日程を聞いていたので、午後に近所の金光教の教会の祭祀に初参加する。
比較対象となるのが、職場がらみで何度か参加した地元の神社の祭祀と、先日頼んで参加させてもらった黒住教の祭祀くらいしかないが、初参加の新鮮な印象をメモしておこう。
やはり神道がベースだから、祝詞(のりと)を読上げたり、玉串を捧げたりする所作は共通している。しかし、神社神道が形式的で一方的であるのに対して、教派神道である黒住教や金光教の方には、信仰の要素が埋め込まれている。
例えば、祝詞の書かれた冊子が配られて、教会長のリードのもと、参加者全員で祝詞を読上げる、という点に黒住教と金光教の共通点がある。違いがあるとしたら、その祝詞の内容だ。黒住教の祝詞は古風で意味も取りにくいが、金光教の方がわかりやすい。
金光教では、祝詞以外にも、口語体の宣言や祈願が読み上げられる。たとえば、「金光教宣言」は以下のようなものだ。
「大いなる天地に生かされる人間として/すべてのいのちを認め、尊び/神と人、人と人、人と万物が/あいよかけよで共に生きる世界を実現する」
各教会の個性もあるかもしれないが、黒住教の祭祀は神社神道に近く教祖黒住宗忠の姿は見えにくいが、金光教の祭祀の方は教祖金光大神の肉声が保存されているように感じられる。それは正面の祭壇に掲げられているのが、肉筆の書(天地書附)である事とも関連しているだろう。
ところで、黒住教、金光教ともに祭壇が左右にならんでおり、左側の小さな祭壇でも祭祀を繰り返すのは同じだった。よく聞くと、かつての教会長さんたちの業績を称える祝詞を読んでいたので、祖先の魂を祀るための祭壇なのだろう。神社神道とは違い、葬祭にもかかわる教会の特徴なのかもしれない。
神様への祭事が終わったあとに、正面に演台が据えられて、教会長がこちら向きに話をするのも共通だ。話の前に信者に対して恭しく読まれるのは、黒住教では「御七カ条」、金光教では「立教神伝」であり、いずれも教団では重要な神(教祖)からのメッセージだ。
祭祀のあとには、お茶をいただき教会長さんからゆっくり話をうかがうことができた。