大井川通信

大井川あたりの事ども

『嗤う日本の「ナショナリズム」』を読む(その1)2005.12.16報告

※本書は、2005年の出版で、当時はかなり話題になった。社会学北田暁大(1971-)の著書。出来の良いレジュメではないが、自分史をからめて丹念に読んだことで新鮮な手ごたえがあった記憶がある。

1.はじめに

▼「反省史」という規定
この書物で、「反省」という用語は、その哲学的な意味とも、日常的な語感とも違って用いられている。
反省とは、日常的には自分の行いについてその可否(特に否)を省みることだろうし、哲学的にはもっと厳密に自己意識や理性の根拠を問い直していくような作業のことである。一方この本で実際に行われているのは、個人のポジショニング(立ち位置、位置取り)の社会史とも言うべき内容である。
それを反省と名付ける意味合いは、それが外側からの位置づけでなく、個人的・精神的な位置取りである事を示すためであるかもしれない。著者が議論の出発点とする「60年代的なもの」=自己否定においては、それを反省と呼ぶのはふさわしい。
しかし、このポジショニングの30年史は、アイロニーが芽生え、それが全面化する過程として描かれており、そこでは、個人の位置取りはますます反省の語感とは遠いものになっていく。定義の問題かもしれないが、これを「反省史」とくくることは、やはりわかりにくい。

▼ポジショニングの諸相
さまざまな事例が、次々に繰り出される新奇な概念で説明されると思うと、すぐに別の解釈が上書きされる。この錯綜した解釈の迷路に踏み迷わないように、ポジショニングをめぐる著者の議論のおおざっぱなイメージを頭に入れておくとよいかもしれない。
著者は、ポジショニングを①現実的な態度、②アイロニズム、③シニシズムの三つに分類する。
①は、地に足をつけた「ベタな」態度であり、②は、そこから距離をとった「メタな」態度であるものの、①との相互関係、緊張関係を保っている。しかし、③は、メタであることを自己目的化して(=メタメタ、超メタ)、①との接点を失い、「形式主義」に陥ってしまう。
現実に働きかけ、現実を革新することを通じて「主体性」を確立するのが「人間」であるなら、自己の立ち位置のみを目まぐるしく変えることで満足を得るのは「ゾンビ」といえるだろう。そして、③の突き当たりで、ゾンビは再び「人間」を希求する・・・

2.概要

※次回の記事

3.終わりに

▼アイロニカルな反省史
著者は、様々なキーワードの定義や引用する事例の解釈を言い換えていくが、この本のテーマについても何度も言及しながら次々に読みかえていく。曰く、反省史、ゾンビの歴史、80年代論等々。このような揺れは、半ば戦略であるとともに、著者の体質に根ざしたものかもしれない。
80年代(後半)の自身の「凡庸な」経験を出発点におく著者は、消費社会の身体技法としてのアイロニーを血肉化しているはずである。従って、この「反省史」は自己言及的で、かつアイロニカルなものとならざるをえない。彼がひそみにならいたいとリスペクトするナンシー関ほど著者の位置取りが絶妙であるかは速断できないが、ナンシー(や著者が彼女の先行者と目する浅田彰)に比べて、明晰さ、切れ味においては及ばない印象である。
しかし、連赤事件から2チャンネルまで同時代の様々な潮流を丹念に追いながら、ゆるやかに位置づけていく手法は、著者ならではのものかもしれない。とくに、報告者自身の立ち位置の「歴史」を振り返る視点を得たことは、大きな収穫だった。

▼私的な反省史から  
61年生まれの報告者は、同時代の空気のように、このアイロニーの30年史に接してきたところがある。80年に入学した大学のキャンパスには「60年代的なもの」は一部の残党として存在するのみで、資格試験の勉強や就職ゼミの単位を取ることには、何の後ろめたさもなかった気がする。
一方、「70年代左翼」の影響を受けて、地元での介助参加など障害者自立生活運動にかかわったのが、初めての運動体験だった。無味乾燥な法解釈学の授業の合間に顔を出した講義がきっかけで、「現代思想ブーム」の余波を受け、多少読むものの幅が広がるということがあった。
83年は、ニセ学生としてモグッていた大学でのマルクス没後100年のシンポや、浅田彰の登場が思い出深い。当時は、障害者のお風呂介助をしながら、ゼミではアルチュセールハーバーマスを読みつつ、企業訪問をするという生活だった。
翌年には就職したものの、一つ所にうまく落ち着けずに、メタを望みつつも「ずり落ちていく」ような生活スタイルは変わらなかった。
90年代にはいり、福岡で就職し比較的生活が安定するなかで、とにかくテレビだけはよく見ていたから、ナンシー関のエッセイはおもしろく読んだ。あとから、自分が柄谷行人以後、最も熱心に読んで同世代を感じていた批評家が彼女であることに気づく。
ライペリの会に通うようになったが、会の先生格の竹田青嗣さんがどうにもおもしろく読めずにしばらく中断。再開後、会で紹介された内田樹氏のエッセイは、ナンシーに匹敵するぐらいおもしろかった。今回の本で、その違いが、書き手のポジショニングの差によることに思い当たる。
なお、90年代の終わりに、仕事で終末期の同和行政にかかわり、「60年代的なもの」に再び向き合うことになった。