大井川通信

大井川あたりの事ども

友達にお金を貸すこと(前半戦)

友達に貸したお金はかえってこない。だから、あげるつもりでないと貸してはいけないというのは大原則だ。友人からお金がかえってこないと泣き言をいうのは愚かである。そう思ってきた。

知り合いに借金するのは最終手段だろう。相手方の経済はひっ迫しているだろうし、金融機関からの借金もあるはずだ。専門機関からの取り立てや日々の暮らしに必要な生活費に優先されて、強制力のない知人からの借財の返済は後回しになる。

それだけではない。知り合いは信頼関係や体面があるから、めったに督促などはしない。友達のお金でも手元に来てしまって、督促もされなければ、なんとなく自分の方に権利があるように思えてくる。占有の既成事実によって所有権が徐々に移動するという感覚が、法学者川島武宜の喝破した日本人の所有意識の核心だ。

貸した本がもどってこないのは、この同じ原理による。ネットを見ていたら、友達に貸した漫画50冊が一年半後に声をかけた時には勝手に売られていた、という笑えないエピソードの紹介があったが、是非はともかくなんとなくわかるような気もする。

借金回収の鉄則は、毎月欠かさず督促することだとマニュアル本に書いてあった。占有による所有権の漸進的移転を食い止めるために必要な手立てなのだろう。

だから僕もお金の貸し借りは知人とはしない主義だったのだが、コロナ禍でこの主義に反せざる得ない事態に遭遇した。

自営業の友人の仕事がなくなった上で、病に倒れたのだ。高額の治療費をとりあえず恩人に立て替えてもらったけれども、すぐに返す約束をしているという。金策をしているが間に合いそうにないと。友人のコロナ禍での生活にとってその恩人との関係は生命線に思えた。

僕は正直に、友達からの借金は通常帳消しになってしまうものだが、これは僕にとって返してもらわないといけないお金だ。だからこれも借金ではなく一時的な「立替え」だと思ってほしい。だから金策を継続して、でき次第返してほしいと話すことで、自分でも納得してお金を渡すことになった。

友人は聡明な人だし、なれ合うような関係ではないので、これで十分だと思っていた。しかし、数か月後にちょうど半額が返されたところで安心したのか、返済が止まってしまった。それから二年半がたった。