語義からいうと幼なじみとは、幼年期からの友達ということになるようだが、そのころの友人で今でも印象に残っている人はほとんどいない。彼とは、小学校4年5年6年の頃の同級生で、同じ公立中学に入学して同じクラスになることはなかったが、3年間同じ部活だった。
僕には小学校の後半が、自分の人格形成において意味のあった時代のような気がしている。だからその時に近所の友人だった彼には思い入れが強い。中学に入ってからは、そこまで親しくした記憶はない。
ただ、中学1年か2年の時、なぜか手紙のやりとりをした。きっかけは、僕の書いた「はいけい〇〇ちゃん」というタイトルのノート一枚くらいの絵手紙だったが、彼はそれにていねいに返事を書いてくれて、その10通ばかりが僕の手元に残っている。
図解や漫画や短編小説までがあるバラエティに富んだ内容で、絵は当時の僕よりはるかにうまく面白い内容だ。ノートの切れ端とか広告の裏に書いているから、劣化しやすい。20年くらい前になると思うが、カラーコピーを二部作って、一部は自分用、もう一部はその友人に送るつもりでいた。が、その機会がなかった。
今回ふとネットで検索すると、大企業に勤務していた彼は、子会社に出向してそこの社長になっている。会社に送れば届けてくれるだろう。思いついてすぐに送った。本来SNSを使っていれば、ずっと以前にこんな連絡はとれていただろうけれど仕方がない。
届いたあと、すぐに彼から電話があった。内容は幼いけれど、当時の自分にこんなアイデアや才能があったとは思わなかったと彼。サプライズで喜んだもらえたら何より。
彼は、中学時代が一番印象に残った時代だったという。その辺で僕とは若干のずれがある。ただ、そのころ好きだったものを、今は大人買いしているという話はいっしょだった。小学校の頃あこがれていた天体望遠鏡を、今でもお店でながめては手に入れたいという衝動があることも。
50年の人生の蓄積で、声も話しぶりも当時の面影はない。それはお互い様だ。しかし、小学校6年生の時に、同じミザール製の最廉価の天体望遠鏡ニューコロナを4500円で購入して、それが対物レンズが4センチで焦点距離が800mmだった、というような些末な知識と体験を共有している人間が、この世界にただ一人いてくれることは感謝すべきだろう、絶対に。