大井川通信

大井川あたりの事ども

実践発表型ビブリオバトル

初めて主催者側として、ビブリオバトルの運営の手伝いをした。バトラーや観戦者としてだけでなく会場設営などのボランティアをしたことはあるが、運営側となるとまた別の経験となる。もっとも仕事としては様々な研修会の主催や運営側に立つことも多かったのだが、具体的な実務を担ったことはほとんどなかったのだ。

市立図書館の分館の周年行事としてのはじめてのビブリオバトルで、図書館側もバトラー(発表者)を集めるのを苦労したようだ。

5人中4人が高齢の男性で、4人とも郷土史や地域研究の実践について発表し、紹介本はその成果物としての自著・編著かその分野の専門書だった。

誰も自分の得意分野の話をしたい。だからそういう水のむけ方をしてバトラーを集めたのだろうし、そうすることは悪いことではない。僕もそうだったが、はじめて読書会などで発表するときには、ついつい自分の実践発表というものになりがちだ。そうでないとなかなか自信をもって人前では話せない。

ところが、そういう場になれてくると、だんだんと参加者や観戦者の顔を見ることができるようになる。自分が何を話したいか、から自分がどんな本を紹介したいか、に変わり、参加者に届けたい本は何か、参加者がどんな本を求めているかという問いに変化する。

焦点が、自分から本に、そして参加者へと移行していくわけだ。この移行を自然と促してくれるのが、読みたい本を選ぶという観戦者による投票方式なのだ。この意味で、ビブリオバトルの仕組みは実によく作られているなと思う。

紹介本の背後には、バトラーの生活や実践や思いがあることは不可欠だ。ただ面白かったというだけでは説得力が不足するし、それだけでは5分という時間を持たせることもできない。そして、発表者の生活や実践や思いとコミで見た場合、手に取ってみたくなるような紹介本であってほしい。つまり、紹介本自体にそれなりの魅力が備わっていることが大切なのだ。手に取りやすさ、読みやすさ、という点で。

とはいえ、今の僕は、ビブリオバトルや読書会の在り方について、こうでなければならないという気持ちはほとんどなくなっている。本をめぐっていろいろな形のコミュニケーションが立ち上がるのがいいし、それが貴重だと思っているのだ。