大井川通信

大井川あたりの事ども

ジョウビタキとカトリヤンマ

夕方、夫婦で久しぶりに散歩をする。妻が、和歌神社にお礼参りにいくというので付き合ったのだ。前回、心配でお願いしていた検査結果が良かったから、スーパーで買った日本酒の小瓶をお供えするらしい。和歌神社の社殿の前でふたりそろってお参りしたが、妻が絵本に描いた陽気な神様の姿が頭にちらついて、ちょっとおかしかった。

村を歩くと、ある旧家の門前に人が立っている。以前戦前の五社参りの話をうかがった人の息子さんだろう。近年亡くなられたと聞いていたので、声をかけようとするが、すっと家の中に姿を消してしまう。

大井川の本村橋を渡って、村の賢人原田さんの古民家カフェに二人で顔を出すが、不在である。庭の木に、ジョウビタキのオスが止まって何かの実を食べているようだが、こちらが近づいても動かない。ここまで人なれしているのも珍しい。大陸からの長旅ですっかり疲れ果てているのかもしれない。(翌日、我が家の駐車場にはメスの姿があった)

そうこうしていると原田さんたちが稲刈りから車で帰ってくる。妻が原田さんと立ち話をしている間、僕は納屋と畑の間を飛び回っているトンボをずっとながめていた。かなり大きな黒っぽいトンボが数匹、狭い範囲をぐるぐると飛び回っている。もう薄暗いし、止まってもくれないので、よく観察できない。

ふと、昼間林の中で身をひそめていたカトリヤンマのことを思い出した。夕方に活発に活動する、と図鑑に書いてあったとおりの姿だ。

僕は残って原田さんたちと話し込み、すっかり暗くなってから家に戻った。

 

虹の足

通勤で川沿いの道を車で走っていると、にわかに雨が強くなる。すると正面に虹が見えたので、道路わきの神社の大きな駐車場に車をとめて、観察することにした。

はじめは右半分くらいしか見えていなかったのだが、いつのまにかうっすらときれいな半円を描いている。とくに左側の足は、200メートルばかり先の、丘のふもとの集落のところから立ち上がっているのがはっきり見える。そのあたり、瓦屋根がうすく虹色に染まっているのだ。

虹は雨粒に太陽光線が反射して起きる虚像である。だから、ここからそう見えるからといって、実際にあの集落のところから虹色の橋が立ち上がっているわけではない。蜃気楼の逃げ水が、いくら近づいても遠のいてしまうのといっしょだろう。

とっさに頭の中でそんなことを整理してしまうくらい、虹の足元を実際に見た衝撃は大きかった。生まれて初めてのような気がする。うろ覚えだが、虹の足元には宝物が埋まっている、という言い伝えもあった気がする。昔の人が特別なメッセージを読み取るのも無理はないと思えるくらい、不思議な光景だった。

 

 

 

 

天邪鬼と女郎蜘蛛

ポーの短編小説のなかに、「天邪鬼」(the perverse)を人間の本質とみる視点があることを書いた。われわれは、そうしてはいけないから、かえってそれをしてしまうのだ。ポーは小動物をいじめてしまうことを、その実例にあげている。

僕も自然観察者を気取りながら、ときどき子供じみた衝動で、小さな生き物へ意地悪をしてしまうことがある。とくにクモに関しては。

僕が昼休みに散歩する森の中には、たくさんのジョロウグモが巣を作って獲物を待ち構えている。小道を歩いていて突然顔にクモの巣がかかって、びっくりすることがある。自然と木の枝をもってクモの巣を払いながら歩くようになった。

子どもの頃、昆虫が大好きだった時でさえ、ジョロウグモのビジュアルは苦手だった。胴体も八本の足も黄色と黒の縞模様で、下腹は真っ赤に染まっている。いわゆる警戒色に血の色が加わっているのだ。何か本能的に受け付けない感じがする。チョウやバッタなどの平和な虫をまちぶせして捉える生活ぶりも、彼らには何の罪もないのだが、やはり印象が悪かった。

しかし毎日のようにたくさんのジョロウグモを見ていると、しだいに彼らの姿にも慣れてきて、天邪鬼の本性から、こんなことを思いついた。クモが巣の上を自由に歩けるのは、粘り気のない糸の部分を選んでいるからだそうだ。それなら、クモを自分の巣の糸で獲物のように捕獲してしまえば、抜け出せないものだろうか。セミスズメバチなど大型の虫でさえ脱出できないワナなのだ。

さっそく枝の先につけたジョロウグモを、他の個体の巣に押しつけて、身体の自由を奪うようにしてみる。初めはさすがに巧みにかわしていたものの、やがてクモの糸でぐるぐる巻きに身体を縛り上げられた状態になった。頼みの長い足も折りたたまれて全く動かせない。これではどうにもならないだろうと思いつつ、クモの巻き付いた枝を目立つ木の幹に立てかけて、その場を離れた。

30分ばかり後にのぞいてみると、案の定、クモはまだそこに捕まっている。しかしよく見るとすでに足の自由を取り戻しているようだ。すると、そこからは割と簡単にするりとワナを抜けてしまった。脱出マジックを成功させた魔術師のように。

ベトベトのクモの巣の真中で生活しているのだから、実際にはいろいろなアクシデントがあるはずだ。長い進化の過程で、万が一の非常事態にも対応できる技を身に着けていたのか、と感心する。

 

 

 

メタ・コミュニティのような話

昔勤めていたのは、塾長が大学生の頃に仲間と始めたまだ若い塾だった。僕が入社した頃は、塾長は30歳を過ぎたくらいだったが、東京郊外に5教室ばかりあって、さらに教室を増やそうとしていた。教室ごとに専任講師が2名ほどと学生バイトの講師が多くいたと思う。

職員もほとんどが20代で、仲が良く、学生のような付き合いをしていた。教室によっては、人望のある教室長を中心に、学生バイトも含めて、〇〇ファミリーと言えるようなゆるい結束が存在した。そんな彼らの会話で、かっこうの標的になっていたのが塾長や、彼の盟友の経営陣だった。たしかに塾長は、少し変わった人間で、いろいろな問題行動も目立った。

僕は心情的には、ファミリーの一員だったが、彼らが塾長の悪口ばかり言っていることには、少し違和感があった。塾長が起業して、塾をつくったからこそ、僕も含めて、この場所で出会えたのではないか。

やがて塾長への不満がたまって、職員たちで労働組合を立ち上げた。労働組織の全国一般の知恵を借り、自分たちで手分けをして勉強し、ホテルで結成大会をしたり、塾長への通告を行ったりした。得難い経験をしたと思うが、それもまた、塾長の企業と経営のおかげではある。

内田樹がどこかでこんなことを書いていた。親の一番大切な役割は、こんなひどい人間といっしょにいたら自分はダメになるから是が非でも出ていく、と子どもに思わせることであると。これを読んで、ずいぶん子育てに気が楽になった。こうして、世代が更新し、子どもたちは自分の人生を歩み始める。

家族以外の人間関係や組織の役割も、これと似たところがあるのかもしれない。欠落を通じて、未来への出口を示すこと。

30年ぶりに会った塾の同僚によると、塾は、進学塾の統合の波に乗り遅れたものの、16教室でがんばっているそうだ。塾長も元気とのこと。ひそかにエールをおくろう。

 

カメムシの侵入

庭のケヤキの木には、だいぶ以前から、毎年小さなカメムシが発生する。緑色ではなく、グレーの体で、幼虫の姿は、宇宙人のようにつるっとしている。我が家では見慣れた種類なのだが、手元の図鑑にはのっていない。

今頃の季節には、冬越しのために家に侵入しようと、ドアやサッシの隙間に身をひそめている。おそらく開閉の瞬間を見逃さずに飛び込んでくるのだろう。生き残りのためのすごい執念だ。冬の間に、天井のすみなどでじっとしているカメムシを見かけることがある。

本来は、天然の自然の中の、枯れ木のすき間などで越冬しているのだろうが、家屋という巨大で温かい内部空間を持つ人工物が出現してからは、そこがかっこうの冬越しの場所に思われているのかもしれない。

先日は、職場のサッシを開けて、網戸をわずかにずらした瞬間に、数匹のカメムシが、パラパラと室内に落ちてきた。まだまだ暑い日が続いていたのだが、もうそんな時期なのかと驚いた。すると数日たたずに一気に冷え込んで、上着が必要な寒さになった。

 

 

赤松と黒松

昔、知人から、赤松と黒松の松葉の見分け方を教えてもらったことがある。そのときは、樹木にも、まして松葉には特に関心がなかったので、そんなものかと聞き流していた。

大井川歩きを始めて、地元を意識するようになった。今の地元は、海沿いなので、黒松が多い。かつての地元は、内陸の東京武蔵野だったから、赤松が目立っていた。遊び場の一橋大学構内には、少し歪曲しながら高く伸びる赤松の大木が並んでいて、それが故郷の原風景の一部となっている。赤松は、幹の上の方では樹皮がはがれて赤く染まったように見えるのだ。まるで夕陽を浴びたみたいに華やかに。黒松の黒一色の姿は渋いけれど、どこか物足りない。

今年に入って、知り合いの主宰する現代美術展で、大量の松葉を人に見立てた作品に感銘を受けた。それで、かつての説明を思い出して、実際に見分け方を実験してみたいと思いついたのだ。ところが、現在の地元の海岸沿いは黒松ばかりだ。心当たりの里山の中の松を訪ねてみたが、見事な黒松の大木だった。以前この里山を歩いている時に、落ちている松ぼっくりの大きさに驚いたことがある。子どもの頃に見慣れた赤松のそれより、黒松は一回り以上大きいのだ。

帰省中、一橋大学の構内に入った。一カ所黒松が植えてある場所があって、その表示があったのを覚えていたからだ。目当ての場所に黒松はあったが、黒松の表示が撤去されていたのは残念だ。自生ではなく管理されているためか、盆栽のような小ぶりな樹形になっている。

手を伸ばして松葉をとり、手の甲にあてるとチクチクと痛い。一方、そこら中にある赤松の松葉は、柔らかくしなって痛いというほどではない。この硬軟が、黒松を雄松、赤松を雌松と呼ぶ理由だとも聞いている。

実験成功。サンプルを収集して満足したが、黒松しか目立たない地元では、こんな説明を聞いて喜んでくれる人はいないだろう。赤松を見つける、という大井川歩きの新たな課題ができた。

 

光速の竜とアサギマダラ

新幹線のホームに、南からやってきたN700系が停車している。例の恐竜のような長い鼻先を突き出して。
ふと架線の上に目をやると、ヒラヒラと飛ぶ蝶が目につく。白地に黒いシマの羽に、紅のアクセントが目をひく。南下の長い長い旅の途中のアサギマダラだ。
彼女が好む花畑で待ち受ける、というより、こんな街中での偶然の出会いが、僕は気に入っている。
同じく南へと急ぐ新幹線が滑り出し、白い竜のように彼方に走り去るのを見送ると、彼女は、すでに姿を消していた。
 

『絶滅の人類史』 更科功 2018

今、かなり売れている新書らしい。確かにくだけた比喩を使うなどして、かなりわかりやすく、目新しい学説を紹介している。しかし、実際には複雑な人類の進化史を踏まえているだけに、すんなり読み通せる内容ではなかった。

子どもの頃、図書館で人類史の本を借り出して熱心に読んだ記憶がある。学校の歴史の授業が、アウストラロピテクスをはじめとする原人の話から始まるせいかもしれない。当時は人類の誕生は100万年前と覚えさせられたが、最新の学説ではおよそ700万年前ということになるらしい。

僕は文系人間なので、自然科学の客観的研究によって人間の本質がわかるという議論には抵抗がある。自分という場所において成立している現象を、内省においてとらえるのが本筋という意識があるのだろう。

しかしほかならぬ人間というものが、どういう進化の過程を通って今に至ったのか、という科学の目覚ましい研究成果を目の当たりにすると、この知識を抜きにして語られてきた人間論が底の浅いもののように思えてしまう。科学の成果は暫定的な仮説であるとはいえ、現時点でわかっていることについては、やはり知るべきなのだ。

とりあえず印象に残った部分をいくつか。人類の祖先が、おそらく木登りが下手で暮らしやすい森林を追われたため、疎林や草原でなんとか生き延びたものだったこと。(やはり始まりは神に選ばれたなんてことではなく、弱さや劣等なのだ)

直立二足歩行を始めたことによって、空いた両手での食物運搬が可能になり、それが集団生活ではまれな一夫一婦制の形成を促し、高度に協力的な社会関係をつくることができたこと。一夫一婦制のために同種内での争いが減少し、平和的な種となった。戦争が始まったのは、農耕が行われるようになった1万年前以降である。(人間が平和への強い希求をもちながら背反する振る舞いをすることについて示唆的だ)

700万年前に直立二足歩行を始めた人類の脳が大きくなり始めたのは250万年前であり、その頃石器を作り始めて、高カロリーの肉を食べられるようになったからである。消化のよい肉食は、食事にかかる時間を短縮し、暇になった時間で大きくなった脳を使い、コミュニケーションを発達させることができた。(進化が想像以上におそろしく緩慢であり、偶然の要因がからみつつ進行することに驚かされる)

人類には、かつて様々な種が存在していて、それらは何らかの理由で絶滅していること。(人類の滅亡などというと、地球の滅亡や世界の終焉みたいなイメージで語られるが、人類も生物である以上、何らかの事情で子孫を残せなくなった場合には、絶滅危惧種に陥ることは当たり前のことなのだ)

 

 

 

聖地巡礼巻き戻し篇 (その2)

旅行から戻って、さっそく近所のレンタルビデオ店に行ったのだが、残念ながら在庫がない。配信とかもあるらしいが、おじさんには何のことだかよくわからない。近くの書店によると、原作の漫画の方はずらっと並んでいたので、数冊買って帰った。

しかし実は若干の心配事があった。巻き戻し篇というか、この本末転倒の聖地巡礼で、実際に作品が面白くなかったらどうしようもない。アニメの方なら、聖地の風物がきちんと描かれていればそれなりに楽しめそうだが、原作漫画の方には、小豆島を連想させる場面はないと聞いている。ただ、アニメ化にあたって原作者山本崇一郎さんの出身地である小豆島の風物を取り込んだということのようなのだ。

さて、『からかい上手の高木さん』の原作漫画のほうだが、意外にも、これがとても良かった。大人びて優秀な高木さんは、西片君への好意に自覚的で、ただ彼をからかうのを楽しんでいる。一方幼く不器用な西片君は、何とか高木さんにからかわれないようになり、あわよくば一矢報いようとするのに一生懸命で、彼女への好意を無意識に閉じ込めている。そんな中学生二人のほんわかしたエピソードがつづられているだけの作品なのだ。ただ高木さんは、ある種の男子にとって、女子の理想形のようなところがあって、いちいちツボにはまる、というか、琴線に触れてくる。

原作の中では、学校も本屋も神社も、さらっと描かれているだけなのだが、やはりあの学校であり本屋であり神社であると考えると、ちょっと嬉しい。

あとはアニメさえ観ることができれば、立派に聖地巡礼が完成しそうな勢いである。

 

聖地巡礼巻き戻し篇 (その1)

家族旅行で小豆島に出かけた。海岸沿いのホテルに泊まって、ロビーの観光案内のチラシをあさっていると、テレビアニメの舞台となった場所を示した地図が置かれている。いわゆる「聖地巡礼」用のものだが、聞いたことのないアニメだ。

からかい上手の高木さん』という漫画で、アニメ化は今年になってからのようだ。中学生の男女のラブコメらしい。聖地巡礼には興味があったので、地図をもらって、翌朝ホテルの周囲を歩いてみることにした。アニメも見ないうちに聖地巡礼をするのは順番が逆のようで気が引けるが、高名な文学作品の舞台や歴史的な遺跡などは、作品を読んでない人や歴史に詳しくない人も、とりあえず話のタネにと感心しながら見て回るだろう。それと同じだと、自分を納得させる。

早朝目を覚まして、まだ人通りの少ない街を歩く。地図には、アニメのシーンと簡単な解説がついている。それを見て、想像を膨らませる。二人が偶然顔を合わせた書店。テスト勉強をした図書館。通学路の橋。二人の通う中学校。しだいに気持ちが乗ってきて、できるだけ回ってみようと決意する。

アニメでは取り上げられていないが、中学の裏手の丘に富岡八幡という神社があり、その参道の周囲の急な傾斜地には、石垣で築かれた区画が、小さな棚田のように何百も段々に作られていて壮観だ。「座敷」と呼ばれて、下の広場で行われる祭礼の時の氏子の見物用に今も使われているという。参道の途中の見晴らしでは、映画『寅さん』の撮影も行われたらしい。

港や運河に近く、土地が狭いためか、古い家屋が密集した路地が残っていて、そこを歩くのが面白い。猫が多くて、路地の瓦屋根で休んでいたりする。大井川歩きの要領で、挨拶を交わしたおばあさんに、「座敷」のことを尋ねる。今でもお祭りで使われているが、使える集落や家が決まっていて、彼女は座ったことはないそうだ。

二時間かけて、歩けるところはすべて見た。実際の中学生の生活圏と重なるところに好感がもてる。聖地巡礼者らしき若い男女一組が、自転車で回っていて、行く先々で顔を合わせるのがちょっと気恥ずかしかった。

やや遠方にあるトンネルと神社は、ホテルを出たあと、レンタカーで回る。二人が雨宿りをしたり、背比べをした神社は、とくに重要な「聖地」らしい。高木さんの顔を描いた絵馬などがちらほら吊るされている。「高木さんに負けない魅力的な島でした!」の言葉に、なぜかほろっとしてしまう。彼らは、作品の世界に少しでも近づき、キャラクターたちに語りかけようと、この土地を訪れるのだろう。

さあ、僕もアニメをはやく観なければ。