大井川通信

大井川あたりの事ども

『ハイファに戻って/太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー

読書会の課題本。2017年刊行の河出文庫の短編集。著者カナファーニー(1936ー1972)はパレスチナに生まれ、難民となり、パレスチナ解放運動に参加するかたわら小説を執筆。36歳で暗殺されるが、遺された作品は、現代アラビア語文学の傑作として評価されているとのこと。

自分には遠く感じられるパレスチナ問題の渦中に、いきなり当事者として立たされたような気がする。アラブの人々の考えや感情も、十分共感可能なものであることを知った。アクセントの置き所が少し違う、というだけで。
小説はすごい。単調な文字の連なりが、時空をこえて渦中の人物の過去と現在を我が身にひきつける力をもつ。ドキュメンタリーや映画の実際の映像は、かえって自分たちとの異質さや距離を意識させるかもしれないし、それを作るコストは膨大なものになるだろう。

『ハイファに戻って』では、「人間は結局、それ自体が問題を体現している存在」であると繰り返し語られる。これは、政治問題、民族問題などの「問題」にからめとられて、すっかり自分を明け渡してしまい、自分が問題に占拠されてしまっている状態だろう。
父親サイードは、20年ぶりに出会った別れた息子が敵方に育てられたことを「恥辱」と感じ、自分の育てた息子が祖国のために戦場に向かうことを「誇り」と思い込もうとする。どんなに深刻な現実が背景にあろうとも、彼の語る言葉は、政治演説みたいで虚ろに響く。

ところが、『ハイファに戻って』以前の作品では、「問題」を体現する人間ではなく、「状態」に落とし込まれた人間とその倫理が描かれているのだ。むしろ彼らの語る言葉の方に、より重いリアリティが感じられた。

「ですから、この俺というのは、一つの状態なんですよ・・そう、一人の人間から一つの状態へとね・・百万人の人間を一緒に溶かしちまって、それを一つの塊にしてしまうってことは、決して並のことではねえですよ」(『彼岸へ』) 
「どんなふうでもいい、どんな手段を使ってでもいいから生きのびること、それこそが立派な徳を達成することになるのだよ」(『戦闘の時』)