大井川通信

大井川あたりの事ども

右翼と左翼

政治学者の白井聡が、松任谷由実に対して「早く死んだほうがいい」と自分のフェイスブックに書き込んだことで、批判にさらされている。彼女が安倍総理の友人としてその辞任に同情したために、「敵」と同罪と認定されてしまったのだろう。

確かにひどい発言だ。自分の気に入らない敵側の人間なら死んだほうがいいというのでは、ヘイトスピーチとかわらない。

ただ、僕は驚かない。白井聡の論壇での出世作は『永続敗戦論』(2013)だが、読書会でレポートしたために丹念に読んで、そしてあきれてしまった。そこでは、勝手に権力関係を妄想して、名もなき庶民を罵倒する、というもっと悪質なことを平気でやっている。本物の権力者とその友人を罵倒するなど朝飯前だろう。

しかし、『永続敗戦論』はおそらく仲間内ではそんな部分など問題にもされずに共感され、ベストセラーとなり賞まで取っている。今回はネット上の発言だから見過ごされなかったというわけだ。

こんなふうに、右と左の思考法はよく似ている。とくにその悪い部分で。では左右はどこが違うのか。僕は、以前、その明快な説明を、経済学者松尾匡の『新しい左翼入門』(2012)で教えられた。

世の中をまず横に切って、「上」と「下」に分けて認識し「下」に味方するのが左翼で、世の中を縦に切って「ウチ」と「ソト」に分けて認識し「ウチ」に味方するのが右翼だというのがその定義だ。

この定義は、僕のように左翼が正義を独占していた時代に育って、その癖がいまだに抜けない人間には特に役にたつ。左右とは、世界を認識する際の態度に由来するものであって、正邪の問題ではないのだ。

さらに、「ウチ」を大切にするというのは、人間を含むあらゆる生物の基本であって、毎日の生活において否定しようもない態度だ。僕が毎日お土産をもって帰ってくるのは、自分の家族にであって、隣家の家族ではない。

ただ、その考え方だけでは弊害があるということで、強者を批判し弱者の味方をするという態度が、特に近代以降強まったのだろう。

しかし、それらは、世の中の一つの見方に過ぎないわけで、その見方に基づいて善と悪が決定されるわけではない。それを信じすぎると、ヘイトスピーチの少女のように在日の人たちに「あなたたち死んでください」と言えるようになるし、白井聡のようにユーミンに「死んだほうがいい」と言えるようになってしまうのだろう。

 

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