大井川通信

大井川あたりの事ども

千日の行

少し前に記事の総数が千を超えたけれども、今回が毎日書き始めてから連続で千日目の記事となる。修験道の過酷な修行に千日回峰行というものがあるが、千というのは、人が日常的に経験できる数字の中で、上限に近い単位なのかもしれない。

厳密にいえば毎日書いているわけではなく、連続した日付を付けているだけで、現に今も数日遅れた記事を書いている。日記や日録であれば、毎日何事かをしている以上書くこと自体難しくはないが、少なくとも自分としては、書きつけるのに値すること、誰かに伝えたいことを載せてきたつもりだ。そうはいっても、日記的記述でお茶をにごしたことも多い。

文章はまるでうまくはならなかった。ただ、ストレートにものを考える道具としての文体が身についてきたような気はする。自分の中のあいまいな語彙を確かめなおし、使えるようにする作業の場ともなっている。

先日も「食指」という言葉を何気なく使ったが、調べてみてそれが人差し指を意味することを初めて知った。まず思い浮かんだのは「食指を伸ばす」だったが、間違いだとわかって「食指を動かす」に訂正した。

とりあえず、千日の作文の行が終了した。千日という言葉で、千日回峰行の次に、田村隆一の詩句を連想する。

「記憶せよ、/われわれの眼に見えざるものを見、/われわれの耳に聴えざるものを聴く/一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、/四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶を/われわれは毒殺した」(「四千の日と夜」部分)

詩集を開いてみると、千ではなくて、四千だ。「四千の夜の想像力」を手にするために、まだまだ書き継がなければいけない。