大井川通信

大井川あたりの事ども

10年間日記をつけるとひとかどの人物になれる

英語の名言集みたいなものを読んでいたら、この言葉に出くわして、思わずにんまりした。原文は、Keeping a diary for ten years makes you somebody.

今年ちょうど10年連続日記の最終年をつけている。この言葉通りなら、そろそろ僕もひとかどの人物になっているはずだろう。

こんなに長期間継続して日記をつけたのは、人生で初めてだ。だからこの名言の言わんとするところは、なんとなくわかる。日記で毎日をふりかえる。一日を反省し、その評価に基づいて翌日を構想する。そういう毎日の生活のマネジメントを続けることになる。日記は時々は読みかえすから、もう少し長期的な振り返りの機会ともなる。

しかも、日記は書くものだ。書くことは、話すのとは違う次元で論理的に言葉をつなげる思考の訓練になる。しょせん言葉の組み立てで出来ている人間の世界のなかで、言葉と思考に習熟することの意味は大きい。

ところが、日記の効用は、この名言通りには僕には作用していないだろう。それにはいくつか思い当たることがある。

僕のつけているのは10年連続日記だから、一日の記入欄はわずか三行だ。しかも毎日書くのではなく、数週間分をまとめて手帳のメモの内容を転記するなんてざらだ。日々を振り返り論理的に書くことが日記のご利益のモトであるなら、僕の日記にそれが薄いのは仕方ないだろう。

それからもう一つ。人生の名言というものは、だいたいそれを求める若い人向けではないのか。20歳とかせいぜい30歳の人にとって、10年間の比重は大きいし、それは人生の青春期や充実期に該当する。彼らの倍は生きている僕の中年以降の10年は、この名言が想定している10年の重みはないのだと思う。

そういえば、高校時代の日本史の先生が、僕のクラスの卒業アルバムにこんな言葉を書いてくれたのを思い出す。今から10年間とにかく一つのことをやり続けること。

いろいろ手遅れには違いないが、僕は来年には新しい10年連続日記を書き始めるつもりだ。