大井川通信

大井川あたりの事ども

キスリングの肖像画

僕が美術館に行く習慣がついたのは、30歳過ぎてからという晩熟(おくて)だったが、それでももう四半世紀、めぼしい美術展をチェックしていることになる。

そうすると、有名どころの気になる画家については、たいてい回顧展を観る機会があった。キスリング(1891-1953)も好きな画家の一人で、13年前に地元の美術館に巡回してきたキスリング展をじっくり観ている。

今回の巡回展は、近場では鹿児島に来るので、コロナ禍で他県に出るのはちょっと恐かったが、人の少なそうな平日に新幹線で日帰りで行くことにした。次の回顧展があるにしても、10年以上先だろうから、観ることができるかどうか疑わしい。

キスリングの作品は、肖像画と花瓶などの静物画が大半で、豊かな色彩で単純化された丸みをもった形がのっぺりと描かれている。一目でキスリングとわかるが、そこまで深い精神性や繊細な技法が感じられる作品ではない。だから大きな期待はもたないようにして観たのだが、思った以上に良かった。ばくぜんと好きだったキスリングの作品のことが腑に落ちたような気がした。

静物画の花瓶の花が人物のように見え、肖像画の人物が花瓶や静物のように見えた。人物も、花や果物も全く同じように、丸みをもって一体となった色彩のかたまりが、あいまいな背景からくっきり浮き上がっている。人物の大きな瞳はどこかうつろなのが特徴なのだが、花のつぼみやブドウの実と扱いが同じなのだ。

そうして、この平面上の異世界のなかで、人物と花瓶と果物皿と家屋とが同格であるような無表情な世界で、わずかに物語が動き出す予感がするのだ。こちらからの感情移入や共感を拒絶する、まったくの異物の論理によって。