大井川通信

大井川あたりの事ども

斜面緑地のこと

国立市の市長の昔の講演録を読んでいたら、国立という街の当初の設計について、こんなことが書いてあった。

国立は駅前ロータリーから三本の大通りが放射状に伸びている。大学通りは大学のキャンパスを貫いて中心軸をつくり、冨士見通りは富士山が突き当りに見えるように「山当て」されているのは有名な話だ。しかし旭通りは、冨士見通りと反対側の東南に伸びているとはいえ、大学通りをはさんで同じ角度というわけではない。

元市長の話では、国立の境界線を走る「国分寺崖線」に並行して計画されたもので、それは道路から左手の崖の緑地をながめるためだったという。これはかつて毎日旭通りを歩いていた僕にも、耳新しい見解だった。開発当初の高層の建物のない状態を考えると、なるほど旭通りからは、崖と崖の上の樹木が緑の壁のように見えるはずだ。大通りはこれと並行に進む方が落ちつくし、より景観を楽しむこともできるだろう。

建築家の仙田満は、都市部の斜面上に残る緑地を「斜面緑地」と名付けている。斜面であるために自動車が入りにくく、開発には工事費がかかることが丘の斜面に緑地が残された理由だった。斜面の緑地のメリットは、平面積は小さくても、遠くからその緑をながめることができて、風景が豊かになることだ。国分寺崖線の緑も、この役割を担っていたことになる。

仙田さんが注目するのは、それが残された自然スペースとして昆虫採集など子どもたちの遊びの大切な場所となっている点だ。「しかも糸状に連続しているために、子どもたちはさまざまな変化に満ちたあそびを連続的に体験することができた」(『こどもと遊び』1992  161頁)

僕にとっても、まさにそうだった。斜面沿いには公園や坂道、階段が迷路のようにつらなっていて、格好の遊び場だったのだ。変化の乏しい平面的な住宅街に暮らしていた子どもたちには、斜面緑地を抜けた崖線上の土地がどこか異世界のように思えたりもした。

崖線を隣町の府中までたどると、そこには「コガネ山」や黒鐘公園、国分寺境内などの大きな林が連なっていて、僕の自然体験の原点のような場所になるのだが、これもまた斜面緑地の範疇に入るものだ。市街地の斜面緑地はほとんど消えかけているが、この辺りの自然は今でも残されているのはありがたい。