大井川通信

大井川あたりの事ども

『無痛文明論』 森岡正博 2003

コロナ肺炎の闘病中、痛みや苦しさを味わうことが、いろいろな要素をそぎ落としたあとの生きることの原形である、と思い至った。それを受け入れようと。

そのあと、自分の手元にあって読みかけていたこの本のことを思い出した。ちょうど読書会で森岡氏の新著が取り上げられることもあって、18年ぶりに手にとってみた。

読み始めてみて、前回途中で挫折した理由がわかった気がする。現代社会が痛みを回避し、安楽と快楽を求める文明に支配されているという基本認識をベースとしながら、いかにそれと戦うかという話に重点を移してしまうのだ。

本来の生き生きした自分に立ち返って、枠組みを超え、自己更新する喜びを味わおう、という話になって、肝心の「痛み」そのものについてはどこかにとんでしまう。まるで当時流行っていた映画『マトリックス』のイメージを下敷きにしているのではないかと疑ってしまうくらい、不可視の悪しき文明と戦う「戦士」のための勧善懲悪の物語が熱く語られるのだ。

だから全体としてみると、半分強は共感できない本だと言える。にもかかわらず、やはり今の僕にとって、必要で役に立つ、学ぶべきところのある本であるように感じた。

一つには、「この本を書くために生まれてきた」と後書きの冒頭に書きつけてしまうような、著者の異様な気合だ。言葉は力を持たないといけないし、全身を鼓舞して自分の生き方を導いてくれるような言葉を今の僕は求めている。

もう一つは、著者が基本におく「中心軸」という考え方だ。若く、精神が柔らかかった頃の自分が本当にやりたかったことは何なのか、それを中心軸にして自分の生き方を決めよという。それが身体の欲望に支配された無痛文明と戦う指針となるのだと。

理論というには素朴に過ぎるような気もするのだが、しかしここには僕の忘れていた大切な何かが書かれているような気がする。