大井川通信

大井川あたりの事ども

竹尺の謎

僕の今使っている部屋には、両親の仏壇めいたコーナーがあって、父親の蔵書だった本や実家にあった置物などを、両親の写真とともに並べている。そこにふと目をやると、一本の長い竹尺が目に入った。最後に実家を片付けたときに、懐かしくてもって帰ったものだ。

竹尺なんて言葉を、自分でも久しぶりに使った。実家では、ただ「ものさし」と呼んでいたと思う。もともとは母親の裁縫用の道具だったのだろうけれども、家族の共有財産として、僕も工作や学習で自由に使っていた。

小学校にあがってからは、学習用の短い定規は持っていたとは思うが、これは75センチあるから、長いものを計るときや長い線をひくときに、ずいぶんお世話になった記憶がある。昔の家はものを大事にしたから、僕が家をでるまで、長い物差しといえばこれ一本で、おそらくその状況はその後も半世紀続いていたことになる。

こんなふうに僕が生まれる以前から家にあり、家族全員の手になじんだ思い出の品というものは、思い返してみれば、これくらいしか残っていないだろう。あらためて大切なものだと実感する。

この物差しの特徴は、75センチの目盛りの反対側に、謎のメモリがふられていることだ。10を単位としてそれが20個分、総計200の目盛りが刻まれており、一目盛りだいたい3.8ミリくらいある。この200目盛りのために竹尺は75センチ丁度ではなく、それより8ミリ弱長いのだ。

子どもの頃親に聞いてみたと思うのだが、昔の裁縫に使う単位だと漠然と覚えているくらいで、はっきりした記憶がない。今調べて見ても、尺貫法にもこの長さの単位はない。いったい何なんだろう。

竹尺の裏には、「化粧品小間物 白鳥」と手書きの墨で書かれている。販売促進用の景品だったのだろうか。この文字には、子どものころからなじみがある。この店名「はくちょう」も、おそらくは母親から聞いて耳に残っているが、店がどこにあったのかはっきりとした記憶はない。