大井川通信

大井川あたりの事ども

『誰か故郷を想はざる』 寺山修司 1973

角川文庫版。表題作の初版は1968年に出版されている。

寺山修司(1935-1983)のエッセイを好んで読んだ時期があって、今回ベンヤミンの批評を読んでいるときに、不意に寺山修司を思い出した。それまでベンヤミン寺山修司をつなげて考えたことなどなかったのに。

自分の幼少期からの人生のシーンに焦点をあてたこのエッセイを読むと、ベンヤミンとの共通点をいっそう強く感じることができる。具体的な場面の切り取り方の鮮やかさと、それにぶつけられるイメージ豊かな思弁。

寺山の場合は、人生の回想にも虚構を自覚的に駆使しているし、歌謡曲や自作の詩歌などさまざまな引用がそれに付け加わるから、言葉は乱反射し、イメージはいっそう焦点を結びづらく、煙に巻かれてるような気分にもなる。

しかし、寺山の文章には、人生の断片や破片からはるかな解放の契機を受け取るようなベンヤミン的な犀利な誠実さがあるのは間違いない。

「現実に家出するだけではなく、抒情詩のなかからも家出して、この二つの世界を飽くなく往復運動を繰り返してゆく思想的遊牧民になること」

「私の上京してからの最大の学問的な感激は、東京一周のはとバスであった・・自分たちが啓蒙されつつある現実を走り抜けてゆく、という快感があった」

「馬券とは、いわば彼の幻想のレースの思い出である」

ただし、彼の競馬論の神髄を理解するには、僕はまだ素人すぎるだろう。