大井川通信

大井川あたりの事ども

『文部科学省』 青木栄一 2021

文部科学省と日本の教育行政についての全体像と、その批判的な把握が簡潔に提示されている。

それは端的にいうと「内弁慶と外地蔵」の二面性ということになるだろう。筆者によると官邸や他の省庁にたいしてとても脆弱であるであるのに対して、「身内」である教育委員会や国立大学に対して大変強い態度に出るということだ。

この説明は、文科省に対する一般のイメージをよく説明しているように思う。学校現場はじめとする教育の世界では、文科省の権威は高く、強権的なイメージが強い。大学改革に対しても強気のリーダーシップを発揮している。

一方、政治家たちに対しては、その素人談義の教育論議に振りまわされている様子がうかがわれるし、外部に打ち出す教育行政の方針も、あまり専門性や説得力が感じられずに、世論に振りまわされている印象がある。

ただ、これは文科省だけの問題ではなく、日本における教育というものの有り様を表しているような気がした。ためしに教育業界内部の言葉に耳を傾けてみるとよい。内部では、あたりさわりのない建前言語や意味のとりにくい専門用語が重用される。しかし、そうしたものでは外部に向けて有効な発信をしたり、外部との実のある議論に役立てることはできない。

著者は文科省に対して、政治や金目の議論から逃げることなく、社会にも必要な資源獲得を訴えるべきだと提案する。そして、文科省を中心に、教育が内弁慶から脱するためのシンクタンクを作るべきだという。これは間違っていないが、またしてもそれを文科省に頼るのはどうかと思う。まず、外向きに通用する言葉を鍛える責任は、教育にかかわる一人一人(教育学者を含む)にこそあると思うからだ。