大井川通信

大井川あたりの事ども

入口と出口

定年とはいっても、まだ仕事を辞めるわけにはいかないので、転職するだけである。ただ、やはり定年という響きには、勤め人には強いインパクトがあって、社会人としての終わりを考えてしまう。何事にも出口があれば入口があるから、それとの連想で社会人になる直前のことを思い出すことも多い。

それは38年前のことだけれども、ずいぶん昔のようで、しかし鮮明に覚えている。その鮮明な記憶をたどると、そのときの自分は今の自分とはずいぶんと違うことに気づく。それでも根本の気質は変わらないのだろう。主によくない部分だが、同じような行動をとっていることに気づく。

まず、区切りを前にしてあせる。バタバタとする。大学4年生の2月、自分の学生時代に考えたことを急ごしらえでまとめようと、自分のミニコミみたいなもの手書きで作って友人に配っていたと思う。『障害と健常』というタイトルだった。今も、自分なりの勉強をしたり資格をとったり、身辺整理をしようとしたりしている。

自分の進路に腹をくくれなくて、他の人に相談したりして、いろいろ迷惑をかけた。これはあのときも今も同じ。世間知らずで視野狭窄、自分勝手という弱点はそのままだ。

38年もあったのにたいしたことはできなかった。それどころが、ずいぶんマイナスのことをしてしまったような気もする。もう少しどうにかできたのではないか、という気持ちはなくなない。

しかし、客観的にみれば、たくさんの欠点と弱みを抱えながら、よくここまでとぼとぼと歩いてこれたということだろう。まっさきに周囲の人たちへの感謝を思うべきだろうが、それより迷惑をかけてしまったという気持ちが強い。両親も他界した。

あと少し、開き直って、スローモーションみたいに減速しながら歩みをすすめよう。