大井川通信

大井川あたりの事ども

退職祝

儀式など儀礼的なことが苦手である。わかった上で嫌だというのではなくて、どういう匙加減でしたらいいのかわからないから、苦手意識があるということだと思う。まして、自分が主催して、友人・知人に声をかけることを考えたら恐怖だった。

結婚式など特に避けたいと思っていたら、結局、そういうことをせずにすんだ。式をしなくていい相手を選んだというところもあるだろう。

さて、定年である。以前は職場でも退職記念の会などしていたが、しばらく前からずいぶん地味になった気がする。それでも少数のグループで宴席を設けて祝ったりはしていたようだが、人づきあいの少ない僕には声がかかることは多くはなかった。

行事ごとが多い職場にいたとき、三年連続で上司の退職記念の会のプロデュースをしたことがある。仕事の一部だったので、それなりにこなしたつもりだったが、そのうちの一人は尊敬する先輩だったので、格別に腕をふるった。喜んでもらえたと思う。ただ、自分の退職の時のことなどは、とても考えられなかった。

幸い、50代半ばすぎから、よい職場よい人間関係に恵まれた。ここ二年間はコロナ禍で苦手の宴席も全く開かれず、気苦労の大きな種がなくなった。

特別深くかかわることができた人たちからは、退職を祝う花や記念品をいただいた。本が好きだからと図書券をいただいたりもした。こういう場合だから、退職の儀礼的な儀式や挨拶にも自然と心が開いて、負担に思うようなことはなかった。人はあたたかいと心底思った。

玄関脇の靴箱の上の棚は、ふだんは妻の感覚で飾りつけてあるのだが、退職祝いの品々を並べてみた。この区切りの時間の意味をじっくり味わってみたい。