大井川通信

大井川あたりの事ども

本をならべる

3年ばかり前から、読んだ本を順番に並べていくスペースを別に設けるようにした。僕の目下の「寝室」の洋服ダンスの上だ。

根気のない僕は、読みだした本をなかなか読み切ることができない。読了本を並べる場所を設けることで、そこに並べたいという動機によって読了を後押ししようということでもあった。これには確かに効果があった。

興味の散漫な独学者にとって、直近の読書傾向を把握し、自分が考えたり読んだりしていく上でのヒントを得るためにも、多少役立ったのも間違いない。ただ、慣れてしまうと、このあまりに雑多な本が並んだコーナーを見返す機会も減ったような気がする。

4月から職場が変わって、仕事の内容がずいぶん広り、知識を広げる必要が出てきた。それで少しでも仕事にかかわりそうな本を読んだら、それを職場の書棚に並べるようにした。それだけでなく、自宅の読了本のコーナーからも関連本を職場に移した。

ずらりと並んだ書籍の背表紙が頼もしい。年齢を重ねると記憶力が落ちるし、自分の知識や経験をきちっとした座標軸に位置付けて、自由に取り出すということも難しくなる。時空間の見当識が弱くなったお年寄りが、自宅に血肉化した見当識を頼りにかろうじて生活を成り立たせているという話を村瀬孝生さんの本で読んだことがある。

僕にとって小さな付箋を無数にはった仕事関連本の書棚は、自分の知識や思考が血肉化され外部化されたデーターベースだ。これをながめることで、忘れていた知識を思い出したり、新しいアイデアを得たりすることができる。これも人生の下り坂を生きるための知恵なのかもしれない、と思う。

読了本のコーナーが解体されたのをきっかけに、そこから小説だけを抜き出して、別にコーナーを作ってみた。こちらは読了順ではなく、作者ごとに整理してみる。これがなかなかいい。仕事関連本書棚に続くヒットかもしれない。

僕は読書家を気取ってはいるが、小説を読むのが苦手だ。この3年間は読書会をペースメーカーに、いろいろなジャンルの内外の古典を読むことができたから、それを並べると達成感がある。いろいろな発見もあって、それが次の読書の指針となる。安部公房は6冊、モームは5冊も読んでいたのか、とか。

それで、読みかけの村上春樹訳のカポーティの短編集を手に取ってみる。どれもいいが、『クリスマスの思い出』には泣いた。こんな珠玉としかいいようのない話と出会えるなら、小説が苦手などとはいっていられない。