大井川通信

大井川あたりの事ども

フォークナー『八月の光』を読む

ひょんなきっかけで、長年の念願だったウイリアム・フォークナー(1897-1962)の代表作を読むことができた。あやうく本屋で買いかけたが、運よく蔵書の中で文庫を見つけることができた。2000年に「新潮文庫20世紀の100冊」という企画の中の、1932年刊行の一冊として特別な表紙にくるまれた文庫本を購入していたのだ。ただ、この20年を超える期間、頁を開くことは無かった。

実際に読んでみて驚いたことは、意外に読みやすく、面白かったことだ。そして何より、今まで小説で体験したことのないような重厚でずっしりと手ごたえのある読後感をもたらしてくれた。

読み始めると、その独特の人間の描き方が気になる。人間は確固たる主体として、自分の考えを表現したり、振舞ったりするのではない。また人間同士が、納得ずくでしっかりとかみ合ったかかわりをするのでもない。

登場人物の意識は先回りしたり後戻りしたりして、まるで「油のように」前後にしみ出してしまい、たいてい「上の空」のまま振舞ってしまう。人物同士も閉ざされた世界を維持したまま、意思疎通なく突発的にふるまい合うだけだ。

この書きぶりは、全編で一貫しているのだが、人間と人間関係のリアリティを深いところですくっているのか、慣れるとかえって読みやすく感じられた。

人種(白人と黒人)。宗教(神と悪魔)。親子。男女。労働。暴力。欲望。

これら本来人間が作り出した構築物が、人間を鋳型にはめて痛めつけ、人間同士を深い谷のように分断するありさまが(そして分断された人々を束ねて決して逃さないありさまが)克明に描かれている。今僕たちが生きている社会がオブラートにくるみ、様々な緩衝材をあてがって衝撃を緩和しようとしているものが、むき出しであらわになっているのだ。

黒人の血をもつ白人として反抗と暴力に生きるクリスマスを起点として、人間関係は広がっていく。黒人の味方として、女として、神に祈るものとして彼に向きあい殺されるミス・バーデン。道化役の同僚ブラウン。反黒人の狂信者として実の孫を追いつめるハインズ。神の化身のような厳格な養父マッケカン。街の白人秩序の守護者グリムがクリスマスを惨殺する。事件の傍観者である元牧師のハイタワーがよりどころとするのは、祖父の幻影のみだ。

登場人物の多くが、過去の呪縛にとらわれて虚栄心に突き動かされるのに反して、物語の最初に登場して読者をジェファスンという舞台に引き込んだリーナ(そして純朴な語り手としてのバイロン)は、物語の結末では、未来へ顔を向けて読者をジェファスンの外へと連れ出していく。無垢の輝きを見せるリーナが、この小説世界の救いになっている気がした。