大井川通信

大井川あたりの事ども

プチ大井川歩き(ゲンゴロウとガムシの幼虫)

柄谷行人の援軍を得たとはいえ、実はこのところ大井川歩きをさぼっていた。心身ともに不調ということがある。家族関係でもストレスのたまることが多い。そこまで悲観的なものではないが「店じまい」というキーワードが浮かんだりもする。夢ばかりみていないで、身辺整理に取りかかるべきではないか。そのうえ暑苦しく湿っぽい梅雨に入ってしまった。

だから、本来なら日差しを避けて歩ける休日の早朝も、ファミレスやカフェでの読書や勉強を選択してしまいがちだ。今朝はファミレスを短時間で切り上げ、奮起して近所を歩いてみる。

住宅街を横切り、秀円寺の裏山を下って大井の旧集落へ。無残に神木群が切られた和歌神社に参る。以前なら、この時期の早朝、うっそうとしたイチョウの大木の根元にカブトムシが毎朝のように落ちていたものだが、もうそんなミラクルは起きない。

水田の苗はまだよく育っていないから、田んぼの水中がよく見える。小さなオタマジャクシがたくさんうごめいている。足をはやしたやつもいる。体長10mmばかりのスイカの種みたいなヒメガムシの姿もあちこちに。その二倍ほどあるコガムシの姿を見つけて、ほっとする。環境条件を考えると、コガムシの生息は貴重だ。

近くにちょっと不思議な幼虫を見つける。ハイイロゲンゴロウの幼虫は見慣れているが、それより一回り大きくて幅広のワラジのようだ。頭部がくびれていなくて、身体から直接赤いアゴが出ている感じ。水中でつついてみても、ゲンゴロウの幼虫ほどすばしこく動かない。家に帰って図鑑を見ると、どうやらコガムシの幼虫のようだ。

水生昆虫たちの姿を見るだけでも、人間と自然の攻防とその波紋に思いを致すことができる。もっとも、田んぼの水中は楽しいので、無心にながめてしまうというのが本当にところだ。

村の賢人原田さんのアトリエ(に改造した納屋)によるが、不在。おそらくコメダ珈琲でインスタ作業だろう。「詩を食べる店」用の新しいパンフレットが刷られていて、相変わらず賢人は前進の歩みをとめる気配がない。方向は様々だが、これが人間のサガではあるだろう。

もう日が高くなったので、小一時間ばかりで家に戻った。