大井川通信

大井川あたりの事ども

サークルあれこれ(その4 小説読書会M)

2017年の10月に、北九州市の小倉の文学サロン(商店街の中の公的なスペース)で開催されている読書会に顔を出してみた。文学サロンの設立に学生時代の長男がかかわっていたので、どんな場所か確かめてみたいという思いもあったのかもしれない。

ただ、読書会というものが決して簡単なものではないことは、思想系読書会で長年経験していたためにさほど期待せずに参加した。小説を読む読書会のノウハウを学ぶための一回だけの参加のつもりだった。

初回の課題本は、折口信夫の『死者の書』だったと思う。事前にいくつかの「お題」が出されて、それについて期限までレポートを提出し、当日は参加者に全員分のレポートが配布される。各お題は、本の選定者(基本的には常連参加者)と主宰者が考えるが、試験問題のようなものから面白い内容まで様々だ。回答は各人の判断で一言から長文まであるが、数行程度が多い。

会の運営は主宰者か選定者が作者と本について短い紹介をしたあと、お題ごとに順番で全員が事前提出したレポートの内容を説明し、主宰者の司会のもと意見のやりとりがある。これがなかなか面白くて、結局僕は現在にいたるまで参加し続けることになる。思想系の本を読むよりも小説を読む方が意見の交流がしやすいという面もあるが、会の運営方法が優れていることを見逃すことはできないだろう。

読書会にありがちな様々な問題点を上手に回避する仕組みになっているのだ。全員に均等に発言のチャンスがあるので、発言量の多い人の単調な議論に会が独占されるということがない。事前に書いたものに基づく発言だからコンパクトでわかりやすいし、その場で何を言うかを考えるために他の参加者の言葉が耳に入らないということがおきない。

翌月の会はモームの『月と6ペンス』だった。日本文学と外国文学を交互に課題にするというルールも読書範囲を広げる意味でいいし、原則として30年(途中から40年に変更か)前に出版された作品に限るという条件も、様々な角度からの読みに耐えうる作品がおのずと選ばれるという意味で優れていると思う。現在でも読み継がれている「古典」はそれだけ歴史による評価を経ているからだ。

もともと若い主宰者の友人たちで始めた会のようで、20代や30代の参加者が多いのも新鮮だった。どうしても継続参加する常連は自分をはじめ中高年になりがちだが、それでも参加者の年齢的な幅は広い。コロナ禍では、臨機応変にズーム開催に切り替えたりして乗り切ったが、主宰者の結婚、転居等の事情で、現在は基本的に休会中で散発的な開催にとどまっている。

50代半ば過ぎからだったけれども、この会のおかげで僕は小説を読む楽しみを、少年時代以来、あらためて知るようになった。この会と出会わなかったら、僕はほとんど小説を読むことなく人生を終えていただろう。この会と主宰者から受けた恩は大きい。