大井川通信

大井川あたりの事ども

『正しい本の読み方』 橋爪大三郎 2017

新刊の時には、手にとって買わなかった本だが、今回必要があって読むことになった。橋爪大三郎の本だから、もちろん間違ったところなどなくて、広い視野から様々に示唆的なことが、わかりやすく書かれている。その内容は一目瞭然だ。

にもかかわらず、この現役感の無さ、というか、時代からズレた感じはいったいなんだろう。違和感をもたらすのは、たとえば「必ず読むべき『大著者100人』リスト」なるものだ。プラトンアリストテレスから始まって、デリダルーマンまで。著者が「読み方」を伝授したい対象が、このリストをすべて「必ず」読みこなせるような人間だというのなら、新書の読者層には皆無だろうというしかない。

著者の学生時代(つまり半世紀前!)によく読まれていたマルクスレヴィ・ストロースが、現在の読者の予備知識の有無など問答無用で引用される。著者が漠然とターゲットにしているのは、人文系の研究者の卵たちだろうが、彼らが果たしてこういう入門書を必要としているのか疑問に感じる。人文系の知にあこがれをもつような人間は、ほっておいても自分で本を読むだろう。

僕の経験では、今、情報を読み解き、世界の意味について考え、社会を変えようとしている優秀な若い世代は確実に増加している。彼らは当然ながら、マルクス構造主義とも無縁である。そういう知的に誠実で実践的な層に対してこそ、年長世代の研究者から、本という伝統的なメディアの読み方の指南が必要だし、それが時代的に意味を持つ。しかし、そんなことは著者の視野には入っていないようだ。彼らにこの本を勧めることは、僕にはとてもできない。

ただ、それも無理からぬことだろう。橋爪さんにしたって、もう70歳なのだ。加藤典洋も同年齢だ。いつまでも彼らに教えを請おうという編集者や読者の側の依存体質の方がむしろ問題なのだと思う。

もちろん彼らの仕事や発言に相応の意義があることを否定するつもりはない。ただ時代の中心的な問題に切り込めるのは、かつて80年代、90年代の彼ら自身がそうであったように、せいぜい30代、40代の現役の思考者なのだと思う。

僕はかつて、1991年に出版された著者の論文集『現代思想はいま何を考えればよいのか』に目を開かされた。そこで、著者は、きらびやかな現代思想ブームの終わりに、思想がいま喫緊に何を論じる必要があるのかを鮮やかに取り出して見せた。今の時代、何をどう読む必要があるのか、大胆に絞り込んだ本が読みたい。