大井川通信

大井川あたりの事ども

『ティファニーで朝食を』 トルーマン・カポーティ 1958

ゴールデンウイークだけど、新型コロナ禍で外出もままならないので、書棚から未読の小説を取り出して読む。村上春樹訳。有名な映画も見たことはない。

主人公は、まだ若い「僕」。それなりに楽しかったり不本意だったりする生活の中で、何人かの人たちと知りあい、ひょんなことから魅力的な異性に出会う。「僕」の視点からは、彼女のことは日々の大小の出来事とともに少しづつしか理解することができない。その理解が、かえっておおきなわからなさを生んだりする。

彼女との縮まらない距離や不可解さによって、いっそう彼女に引きつけられるものの、そこにはどうしようもない生活の違いやささいなもめごとが横たわる。その先に、比較的大きな事件が起きて、それをきっかけに彼女は「僕」の視界から去っていく。

やがて何年もたって、「僕」は彼女のことを思い出す。その頃の共通の知り合いからの連絡と再訪したアパートと彼女に話しておきたかったエピソードが、「僕」を彼女の思い出へと連れ戻すのだ。

そういうお話。誰にでも起こりうるような体験の枠組みを踏襲していて、そこから一歩も出ないような手堅さがいいのだと思う。もちろん、ニューヨークの社交界やそこで自由奔放に振舞う女優の卵に出会うなんて機会は普通の人にはないけれども。

カポーティ―の短編集は一冊読んだきりだが、そこにもこんな突飛で破天荒な女の子が描かれていた気がする。田舎での不幸な身の上をもつ女性が都会で新たな人生で事件に巻き込まれるという設定は、同時代の日本の作家が描いたらきっと陰湿な悲劇となってしまっただろう。カポーティは、それを少し現実離れした、おおらかで乾いたストーリーに仕上げている。

 

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