★パンデミックへの恐怖から、クロスミ様に出番をお願いした以上、その神格の正式な説明が必要だろう。2017年の8月に、それまでの調査を簡単にまとめている。その文章を、4回に分けて紹介したい。
【はじめに】
大井川周辺を歩き始めたとき、この地域の最大の謎が、用山(もちやま)区の里山のてっぺんに祀られた黒尊(くろすみ)様であることに疑いはなかった。ところが、いきあたりばったり歩き回っていると次々と不思議なものにぶつかって、初めは雲をつかむような存在だった平知(ひらとも)様についても、薄皮をはがすように謎を解くことができた。遅ればせながら、黒尊様について探究の成果をまとめてみたい。
【三つのテクスト】
10年ばかり前だったろうか、鳥を見るために大井林道を歩いているときに、散歩中のご婦人から、山の上に神様が祀られていることを聞いた。教えられたとおり、ミカン畑の上の崖に刻まれた小さな階段をよじ登ると、木々に隠れるように小さなお堂があって、その脇には、Aの説明板が立てられていた。お堂の扉を開けると、中には石の祠が祀ってある。
A「昔用山ニ不幸ガ続クタメニ、弘化四年(西暦一八四七年)中国ヨリ神ヲ招キ祈願シタトコロ平和ガ甦リ永遠ニ、村ノ平和ヲ願ツテ山上ニソノ神ヲ祭ル 黒尊(クロスミ)様トユウ」
用山の集落からは細い山道が、参道のように伸びている。街道沿いと登山口にはそれぞれ「黒尊様入口」という看板が設置してある。山道が急になる手前の少し広くなった場所には、石の祭壇があって、そこが「遥拝所」であることを後日知った。大井からの登山道は、裏口だったのだ。
ところで、この掲示の他に、すぐにBの記録を見つけることができた。宗像高等女学校の教師で、宗像の考古学に先鞭をつけた田中幸夫が、昭和8年にまとめた『宗像郡郷土伝説』に収められている。また後になって、宗像生活史聞き書き研究会によるCの聞き書き(平成3年)を手に入れた。
B「黒尊(くろずみ)様(東郷町大字用山)/第二学年吉田玉江/大昔のこと、村に時折悪魔が入ってきて村民を苦しめますので、村人達は遂に中国から神様をお招きしてその悪魔を退治してもらったそうです。そしてその神様を黒尊様と名づけ、山の高い所にお祀りして、いつまでもいつまでも見張っていただくようにしたそうで、村民達が安心して仕事が出来るようになったのもそのお陰だというので、それ以来六月三十日には社におこもりして賑やかなお祭りが行われるのです」
C「子供がノドケの病気でコロコロと死ぬ事件があった。村の人が中国に行って黒尊(くろずみ)さまを受けてきて『部落を守ってください。子供たちを守ってください』と祀ったら疫病が止まったと言われている。ご神体は高さ二十センチぐらい。ほこらの裏には弘化四年(1847)と刻んである。最近では、用山の部落の家が五、六年ごとに一軒ずつ減る。これはきっと黒尊さまを粗末にするからだ、と一昨年ほこらをりっぱに建ててあげた。ムラの疫病除けの神さまである」