大井川通信

大井川あたりの事ども

黒尊様考(用山信仰論・その2)

★前回紹介したように黒尊様を「くろずみさま」と読む文献もあるくらいで、すぐに黒住教を連想した。このレポート作成のあとにも、市内に古い教会を発見したり、岡山県倉敷にある黒住教本部を参拝する機会があったりしたが、おそらく無関係であるという結論はかわらない。

 

黒住教と日拝の思想】 
「中国」を、外国と考えると非現実的なおとぎ話になってしまう。他の聞き書きを調べると、土地の人は「中国地方」の各県を普通に中国と呼んでいたことがわかる。

新宗教に関心のある自分は、すぐに黒住(くろずみ)教との関連が思い浮かんだ。黒住教は、黒住宗忠(1780~1850)が1814年に今の岡山県で立教している。八幡にある教会所を訪ねると、教祖には病気直しの逸話も多く、朝日を拝む「日拝」を修行とする神道の教えであることがわかった。

時代も場所も合っているし、現に黒尊様は日の出が拝める山上に祀られている。しかし、同時代に教祖が活動している宗派の神様を、あえて由来をぼかして祀るということがあるだろうか。釈然としない気持ちが残った。

 

【クルソン山】
10年前に黒尊様を知ったときに、「参道」の入り口わきの民家の人から教えられて、村の歴史に詳しいという吉田さん(昭和3年生まれ)を訪ねた。『宗像郷土読本』存在を教えられたのも吉田さんからだった。その時聞いた、こんなエピソードが耳に残った。

「隣村の知り合いが、クロスミさんにお参りに行く、というのでびっくりして聞き返したら、山口にあるクルソン山に参拝に行くという話だった。何か関係があるのではと思い、いつか訪ねたいと考えている」と。しかし、この時には、しょせんは聞き間違いだろうと聞き流していた。

ただ、気にはなってはいたので、2年前の冬に山口県豊浦町にあるクルソン山を訪ねてみた。以下はその時の記録である。

 

「せまい山道を抜けて、なんとか中腹の駐車場に着いたが、そこから急な坂道を30分ばかり登って、標高500メートルにある狗留孫山修善寺にたどりついた。本殿は崖の上で、観音岩という巨大な霊石にとりつくように建てられている。ながめのいい回廊からは、樹齢千年を超える神木の大杉を見下ろすことができる。腰の曲がったおじいさんが家族と来ていたが、大正12年生まれで、大病してから20年、月に2回以上は山に登って参拝しているという。急な参道脇には、かつて修験道の霊山として繁栄していたころの施設跡と思われる荒地が段々に残されている」